2001年、『ホワイト・ブラッド・セルズ』を発表した。このアルバムのシンプルなガレージロックはアメリカ国内外で称賛され[2]、2002年に最も称賛されたバンドの1つとなり[32]、ガレージ・バンド・リバイバルの一翼を担った[2][33][40]。バンドのイギリスでの支援者で影響力のあるDJのジョン・ピールはジミ・ヘンドリックス以来の逸材と評した[41]。『ニューヨーク・タイムズ』紙はホワイトについて「芸術家気取りの仮面の下にカート・コバーン以来の内向的でダークなロッカーの一面が隠されている」と記した[42]。2003年、アルバム『エレファント』が発表され、商業的にも批評的にも成功した[43][44][45]。オールミュージックはこのアルバムについて「これまでのアルバムより怒りのようなサウンドで偏執的で素晴らしく、『ホワイト・ブラッド・セルズ』より暗く気難しくなっている」と記した[46]。アルバムからの最初のシングル『セヴン・ネイション・アーミー』はバンドの代表曲となり[47]、『ビルボード』誌のモダン・ロック・チャートで3週第1位を獲得し、2004年、グラミー賞ロック楽曲賞を受賞し、スポーツの国際大会や抗議活動などで使用されている[48][49]。5枚目のアルバム『ゲット・ビハインド・ミー・サタン』はホワイトの自宅で収録され、ピアノがメロディラインをなぞり、ホワイトによる実験的なマリンバや他のリズムを打つギターはこれまでからの音楽性の変更を示した[2][3]。
2007年、6枚目のアルバム『イッキー・サンプ』が発表され、これまでのローファイのアルバムとは違い、ナッシュビルのブラックバード・スタジオで収録された[36]。全英アルバムチャート初登場第1位、Billboard 200初登場第2位となった[50]。アルバムのサウンドはこれまでよりパンク、ガレージ、ブルースなどの影響を受けている。このアルバムにより、カナダでツアーを行ない、各州を訪れ演奏し始めた。しかしこの年の後期、メグの急性不安障害のため残り18日の公演をキャンセルした[51]。数日後、2007年の残りのイギリス・ツアーも全てキャンセルした[52]。
この頃ホワイトは他のアーティストたちとも活動を行なっていたが、2009年夏までに7枚目のアルバムの計画を発表した[53][54]。2009年2月20日、『レイト・ナイト・ウィズ・コナン・オブライエン』最終回でツアーのキャンセル後初のライヴ演奏を行ない[55]、トロント国際映画祭においてカナダ・ツアーのドキュメンタリー映画『The White Stripes: Under Great White Northern Lights』が公開された[56]。