15歳の時、家族の友人ブライアン・モルドゥーンのもとで、家具職人の3年間の見習いをすることになった[3]。モルドゥーンは勤務中、ホワイトにパンク音楽を聴かせた[3][18]。モルドゥーンはホワイトをバンドに加入させ、モルドゥーンがドラムを演奏するためホワイトはギターを演奏することになった[3][23]。彼らはThe Upholsterers としてアルバム『Makers of High Grade Suites』をレコーディングした。
高等学校3年生の時、ミシガン州メンフィスにあるレストランで従業員のミーガン・ホワイト(メグ)と出会い[24]、喫茶店、地元のライヴ・ハウス、レコード店などに一緒に行くようになり[25]、1996年9月21日、2人は結婚し[26][27]、伝統に逆らい妻の姓を名乗ることにした[3][28][29]。
家具職人の見習い期間が終了し、自身でサード・マン・アポーストリーを立ち上げた[30]。企業スローガンは「あなたの家具は死んでいない」で、企業カラーは黄色と黒で、黄色のバン、黄色と黒の制服、黄色のクリップボードなどが使用された[30]。サード・マン・アポーストリーはビジネスとしては悪くなかったが、ホワイトに金銭欲がなく、請求書をクレヨンで書いたり、家具の内側に詩を書いたりするなどプロ意識に欠けていたため、あまり利益をもたらさなかった[30]。
経歴
ザ・ホワイト・ストライプス詳細は「ザ・ホワイト・ストライプス」を参照2007年、O2ワイヤレス・フェスティバル
婚姻後の姓を名乗り、ジャック・ホワイトは昼は家具屋、夜は地元のバンドの他、ソロでも活動していた[18]。19歳の頃、デトロイトのバンドGoober & the Peas でプロとして初めてドラムを演奏し、1996年の解散まで続けた[2][18][31]。このバンドでツアーの方法や舞台上での演奏の仕方を学んだ[18]。職業はバーテンダーであったが[32]、1997年からメグはドラムの演奏を学び始め、ホワイトによると「彼女が私と共にドラム演奏を始めた時、新鮮で解放された気分でただ楽しかった」[3]。2人はバンドを組み、「ザ・ホワイト・ストライプス」と名乗り[33]、2か月後初めて公の場で演奏した[18]。
ホワイトとメグは結婚していたにもかかわらず姉弟だと語り[34][35]、テーマカラーとして赤、白、黒の服を常に着ていた[36][37]。