当時カービーの制作アシスタントを務めていたマーク・エヴァニエは、カービーの奔放な創造性が当時のDCの方針と噛み合っていなかったと述べている[140]。DCは自社のキャラクターを個性的なアーティストが自由に解釈することを好まなかったため[141]、カービーが描いたスーパーマンの体やジミー・オルセンの顔は、アル・プラスティーノ(英語版)や後にはマーフィー・アンダーソン(英語版)によって描き直された[140][142]。またDCで描いていたアーティストの中には彼らの地位を脅かすカービーの存在を好まない者もいた。かつてのマーベルとの競争から悪感情を抱いていた者や、カービーとの間に法的な問題を抱えた編集者もいた。カービーはこの時期カリフォルニアで活動していたため、カービーの名声を傷つけたい人間はDCのニューヨークオフィスで彼の作品に手を加えることが可能だった[143]。
マーベル復帰 (1976?1978)スタン・リー(1975年)。
1975年に開催されたコンベンション、マーベルコン'75におけるパネルの席上で、スタン・リーはカービーが1970年のDC移籍以来初めてマーベルに戻ってくることを発表した。リーは自身の月刊コラム「スタン・リーのソープボックス」で次のように書いた。「特別な報せがある、と私は告げた。ジャックが帰ってくることを話しても聴衆はまるっきり信じていない様子だったが、そのうち全員の頭がしきりに周りを見回し始めると、カービーその人が観客席の通路をひょいひょいと降りてきて演台の私たちに加わった!マーベルの偉大なコミックのほとんどを共作した人物ともう一度バカなことをするのがどんな気持ちだったか、想像できるだろう」[144]
マーベルに戻ったカービーは、『キャプテン・アメリカ』月刊シリーズや[145]、大判の「トレジャリー・フォーマット」で刊行されたワンショット作品『キャプテン・アメリカズ・バイセンテニアル・バトルズ』[146] で原作と作画を兼任した。新作シリーズ『エターナルズ』[147] では謎めいた異星の巨人種族セレスチャルズ(英語版)が原始時代の人類に密かに介入していたことが描かれ、後にそれがマーベル・ユニバースの世界設定で核心を成すようになった。また映画『2001年宇宙の旅』のコミック版とスピンオフ展開を手がけた[148]。テレビドラマの古典『プリズナーNo.6』にも取り組んだがこちらは実現しなかった[149]。また『ブラックパンサー』の原作と作画を行い、様々なタイトルで多くの表紙を描いた[9]
この時期マーベルで創造したキャラクターにはほかにマシンマン(英語版)[150] とデビル・ダイナソー(英語版)がいる[151]。スタン・リーとの最後の共作コミックとなる The Silver Surfer: The Ultimate Cosmic Experience は1978年にマーベル・ファイアサイド・ブックス(英語版)シリーズの一冊として世に出た。同書はマーベル初のグラフィックノベルとみなされている[152]。