ジャック・カービー
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ペンシル(下絵)だけでなく妻のロズとともにインク(ペン入れ)を行うときもあり、原作も書いた[9][57]。しかし、1957年に取次とのトラブルによって「アトラス・インプロ―ジョン(事業縮小)」が起き、シリーズの打ち切りが相次いだ。カービーには何か月にもわたって新しい仕事が割り当てられなかった。新生マーベル社で仕事を再開するのは翌年のことになった。

この時期DCでは、原作者ディック・ウッドおよびデイヴ・ウッドとともに『ショーケース(英語版)』第6号(1957年2月)でスーパーパワーを持たない冒険家の4人組チャレンジャーズ・オブ・ジ・アンノウン(英語版)を作り出し[58]、『ハウス・オブ・ミステリー(英語版)』のようなアンソロジー誌にも作品を提供した[9]。DCでフリーとして活動した30か月間で描いた600ページ強の原稿の中には、『ワールズ・ファイネスト・コミックス(英語版)』や『アドベンチャー・コミックス』に掲載された各回6ページの「グリーンアロー」計11話がある。同作はカービーが自身でペンシルとインクをどちらも行ったまれな例である[59]。グリーンアローはバットマンの方程式に沿って作られた弓使いのキャラクターだったが、カービーはそれをSFヒーローに変えてしまい、原案者の一人モート・ワイジンガー(英語版)との間に遺恨を作った[60]

新聞配信のコミックストリップ『スカイマスターズ・オブ・ザ・スペースフォース(英語版)』も始まった。原作はウッド兄弟、当初インカーを務めたのはウォーリー・ウッド(英語版)(ウッド兄弟とは無関係)だった[61]。しかし、配信を行うシンジケート会社との契約に関わったナショナル編集者ジャック・シフ(英語版)が印税の一部を要求して裁判を起こした。カービーはこの争議などが元となってナショナルを離脱した[62]。それ以前からDC編集者の間では、カービーの奔放な絵が自社の作風に合わないと考える者がいた[63]。「騎兵隊の靴紐を描かない」、「ネイティブアメリカンが馬に間違った側から騎乗する」など、絵のディテールに関する批判もあった[64]
シルバー・エイジのマーベル・コミックス (1958?1970)

タイムリーの編集長で、発行人マーティン・グッドマンの親族でもあったスタン・リーに対する悪感情をカービーは捨てきれなかった。タイムリーに雇われていた1940年代、カービーとサイモンが密かにライバル会社ナショナルに寄稿していたことをリーに密告されたと信じていたのである。しかし仕事の選択肢は多くなかったため、DC離脱から数か月後にはアトラスでフリーの仕事を定期的に受け始めた[65]。原稿料が安かったため、カービーは毎日12-14時間にわたって自宅の製図机に向かい、4-5枚の原稿を仕上げていた[66]。この時期アトラスで最初に刊行されたのは『ストレンジ・ワールズ(英語版)』第1号(1958年12月)の表紙と7ページの掲載作 "I Discovered the Secret of the Flying Saucers" であった。インカーのパートナーとして最初はクリストファー・ルール、後にディック・エアーズ(英語版)と組んだ。ロマンスから戦争、犯罪、西部劇などあらゆるジャンルを股にかけて作品を描いたが、最大の成功を収めたのは、低予算のドライブイン映画よろしく巨大なモンスターが登場する怪奇ファンタジーやSF作品だった。「遊星Xから来た物体」ことグルート[67]、虫の王グロットゥー[68]、竜型の異星生物フィン・ファン・フーン(英語版)らのモンスターは、『アメイジング・アドベンチャーズ(英語版)』、『ストレンジ・テールズ(英語版)』、『テールズ・トゥ・アストニッシュ(英語版)』、『テールズ・オブ・サスペンス(英語版)』、『ワールド・オブ・ファンタジー(英語版)』のような数多くのアンソロジー誌を賑わせた[9]。カービーによって奇怪な外見を与えられた強大で恐るべきクリーチャーは読者の支持を集めた。この時期には他にアーチー・コミックスからも仕事を請け負っており、ジョー・サイモンが作ったスーパーヒーロータイトル『ザ・フライ(英語版)』[69] や『ダブル・ライフ・オブ・プライベート・ストロング(英語版)』の立ち上げに手を貸した[70]。また、古典文学をコミック化する歴史の長いシリーズ『クラシックス・イラストレーテッド(英語版)』でも数号の作画を手掛けた[9]

カービーが再びスーパーヒーロー・コミックで本領を発揮し始めたのは、マーベル編集長で原作者を兼任するスタン・リーとの共作であった。その皮切りとなったのは『ファンタスティック・フォー』第1号(1961年11月)である[9][71]。同作はヒーローコミックとしては現実的な描写を行っただけでなく、やがてカービーの限りない想像力が生み出す宇宙スケールの物語によって60年代のサイケデリック文化と共鳴し、コミック界に変革をもたらす歴史的なヒット作となった[72][73]。その後10年近くにわたって、カービーはスタン・リーとともにマーベルキャラクターの多くとそのビジュアル・モチーフを作り出し、マーベル社の作風を一手に規定した。リーの指示によって新人アーティストにブレークダウン(コマ割り、ネーム画)を提供することも多かった。


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