この時期マーベルで創造したキャラクターにはほかにマシンマン(英語版)[150] とデビル・ダイナソー(英語版)がいる[151]。スタン・リーとの最後の共作コミックとなる The Silver Surfer: The Ultimate Cosmic Experience は1978年にマーベル・ファイアサイド・ブックス(英語版)シリーズの一冊として世に出た。同書はマーベル初のグラフィックノベルとみなされている[152]。 マーベルでの待遇に不満を持ち続けていたカービーは[153]、ハンナ・バーベラからの雇用オファーを受けて[154]マーベルを去り、アニメーションの世界で活動を始めた。そこでは『ターボ・ティーン
映画とアニメーション (1979?1980)
1979年、SF小説『光の王』の映画化権を取得したプロデューサーのバリー・ゲラーが書いた脚本概要(トリートメント(英語版))のためにコンセプトアートを作成した。ゲラーがカービーに依頼したセットデザインは、サイエンス・フィクション・ランドという名でコロラドに建設予定だったテーマパークの完成予想図として用いられることになった。ゲラーは11月に記者会見を行って建設計画を発表し、カービーのほかフットボールのスター選手ロージー・グリアー(英語版)や作家レイ・ブラッドベリなども会見の場に同席した。問題の映画の製作は頓挫したが、カービーの絵はCIAの「カナダの策謀」作戦で現実に用いられた。この作戦は、イランアメリカ大使館人質事件において人質となることを免れた大使館員を、映画のロケハンスタッフに変装させて国外に脱出させるものであった[157]。 1980年代の初め、ニューススタンドではなくコミック専門店を販路とする新興出版社パシフィック・コミックス
晩年 (1981?1994)
1983年、リチャード・カイルはカービーに10ページの自伝的作品「ストリート・コード(英語版)」を描くよう依頼した。同作は後にカイルが復刊した『アーゴシー』第2号(1990年)に掲載され、カービー存命中に刊行された最後の作品の一つとなった[165]。1980年代の間はDCで定期的に執筆を続けた。1984年から翌年にかけてミニシリーズ『スーパー・パワーズ』誌上で一時的に復活した「フォースワールド」サーガはその一つだった[166]。1985年にはシリーズの締めくくりとして企画されたグラフィックノベル The Hunger Dogs が出た。DCの経営者ジェネット・カーンとポール・レヴィッツ(英語版)は「スーパー・パワーズ」のトイ用としてカービーに「フォースワールド」キャラクターの再デザインを行わせた。これはカービーがDCで描いた作品からロイヤルティを得られるように配慮した措置であった[167]。
1985年、カービーはギル・ケインとともにルビー・スピアーズ(英語版)のテレビアニメ作品『ザ・センチュリオンズ(英語版)』のコンセプトアートとデザインを手がけた。DCから同作のコミックブック版が刊行され、ケナー(英語版)からトイのシリーズが出た。