1960年代までのジャズは、一部の楽器(エレクトリックギター、ハモンドオルガン等)を除けば、アコースティック楽器が主体だった。しかし、1960年代末期、マイルス・デイヴィスはより多くのエレクトリック楽器を導入し、エレクトリック・ジャズ・アルバム『ビッチェズ・ブリュー』をヒットさせた。同作に参加した多くのミュージシャンも、独立してエレクトリック楽器を導入したバンドを次々と結成した。 1970年代に入るとエレクトリック・ジャズは、クロスオーバーと呼ばれるスタイルに変容していく。この時期に大ヒットしたのが、デオダートの「ツアラトゥストラはかく語りき」である。さらには1970年代半ばには、フュージョン[36]と呼ばれるスタイルに発展していく。フュージョンのリー・リトナー、ラリー・カールトン、アル・ディ・メオラらは、FMラジオなどでさかんにオンエアされた。スタッフ、ザ・クルセイダーズ、スパイロ・ジャイラ、ジョージ・ベンソン、チャック・マンジョーネ、グローヴァー・ワシントン・ジュニアらも活躍した。だが、フュージョンはそのポップ性、商業性、娯楽性からフリー・ジャズ、ビバップのアーティストやジャズ評論家、ジャズ・ファンの一部から強い拒否反応を受けた。これは商業か芸術かといった、普遍的な問題の表れでもあった。 1990年代のジャズは特定のスタイルが主流になるのではなく多様化が進んでいる。フュージョンの後継とも言えるスムーズ・ジャズがその1つである。ブラッド・メルドーはザ・バッド・プラスと共にロックを伝統的なジャズの文脈で演奏したり、ロック・ミュージシャンによるジャズ・バージョンの演奏を行なったりしている。1990年代に入ってからも前衛的なジャズも伝統的なジャズも継承され演奏されている。ハリー・コニック・ジュニア[37]、ダイアナ・クラール、カサンドラ・ウィルソン、ミシェル・ンデゲオチェロらはこの時期に活動した。2000年代から2010年代には、ノラ・ジョーンズ、ホセ・ジェイムズ、ジェイミー・カラム、ロバート・グラスパー、エスペランサ・スポルディング、カマシ・ワシントン、グレゴリー・ポーター等がジャズ・シーンを牽引している[38]。グレゴリー・ポーターはジャズだけでなく、ソウルやR&Bの要素も持っている。また、2010年代に、ヒップホップやファンクの要素が加わったケンドリック・ラマーとサンダーキャットのコラボなどジャズラップなどが人気となった。 NHK『タモリのジャズスタジオ』においてピーター・バラカン・ブロードキャスターが「ヨーロッパと日本がなければ、アメリカのジャズ・ミュージシャンは生計が立たなかった」と述べた様に、ジャズ・プレイヤーにとって日本は重要なマーケットで、多くのミュージシャンが来日公演を行なっている。日本にジャズ・ミュージシャンとして初めて来日したアメリカ人は1952年、ベニー・グッドマン楽団で活躍したドラマーのジーン・クルーパである。
1970年代 - 1980年代
1990年代 - 現在
ジャズメンの来日
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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