メバザ暫定大統領やガンヌーシ首相をはじめ、前政権のメンバーがそのまま留まっているケースが多く、暫定政権成立後も彼らの完全排除を求めるデモが続いた。
また騒乱も一部では続いており、刑務所からの脱走も起こっていると報じられている[74]。また前大統領警護隊をはじめとする前大統領支持派と軍特殊部隊との間で散発的な衝突が起こっている[71]。取材中に治安部隊の放った催涙弾が当たったフランス人のカメラマンが1月18日に死亡し、海外のジャーナリストとしては初の犠牲者となった[75][76]。暫定政権発足後の1月17日以降もデモや銃撃戦は収まらず[77]、17日時点の死亡者は78人に達した[78]。
2011年6月30日、フランスのパリ14区に、モハメド・ブアジジの名前をつけた広場が誕生した[79]。同年10月には欧州議会よりアラブの春に貢献したブアジジら5人にサハロフ賞が授与されることが発表された[80]。 チュニジアの海岸やカルタゴの遺跡などは観光スポットとなっており、日本やヨーロッパなどからの観光客も多く、チュニジアにとっても観光は重要な産業となっている[81]。治安悪化はこれらによって得られる収入に影響を及ぼす可能性がある。実際、1月14日にはイギリスの旅行会社大手トーマス・クック・グループは観光客1,800人をチュニジアより退避させ、今後のツアーを一部中止するに至っている。1月16日には日本の外務省もチュニジアへの渡航延期を勧告している[82]。 また、太陽光発電などに関する計画や共同事業を日本やヨーロッパと進めており、特に日本政府は直前の2010年12月に首都チュニスで開かれた日本・アラブ経済フォーラムにおいて、太陽熱発電に関する共同プロジェクトを開始することでチュニジア政府と合意していため、治安情勢が注視された[11][83]。 また、ジャスミン革命の影響は、リビアなどアラブ産油国にも影響が及んでいるため、原油の値上がりなどの影響も発生している。特にインフレと失業が革命後のチュニジアを悩ませている[84]。 アラブ諸国を中心とするほかの独裁国家や専制国家に革命が飛び火し、反政府運動が相次いだ。エジプト・アルジェリア・モーリタニアなど一部の国では、今回の例を真似て焼身自殺を図る人が相次いでいる[85]。 チュニジアに隣接しているアラブ国家であるリビアにおいても、ムアンマル・アル=カダフィ大佐による独裁政権に対してリビア国民が反旗を翻した。カダフィ大佐は、チャドやナイジェリア、エリトリアなどアフリカ人の傭兵を用いて武力を用いて鎮圧を試み流血の事態に陥ったが、その後革命は成功し、カダフィ大佐は殺害された(2011年リビア内戦を参照)。 イタリアでは、ベン=アリー政権崩壊後から3,000人の難民(不法入国者)が同国南部にあるランペドゥーザ島に流入してきている。急激に増えたため収容施設が足りず、やむを得ず野外で過ごす人も現れていた。これを受けイタリア政府が非常事態宣言を発令している[86]。 また、アラブ諸国ではないが、共産党による一党独裁体制が継続している中国においても、ジャスミン革命の影響が及び中国各地において反政府デモが発生している。同じく独裁国家である北朝鮮においても動揺が起こっているという。
経済への影響
各国への影響「アラブの春」も参照