ジャスミン革命
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

前述のように、陸軍のラシド・アンマル参謀長はベン=アリーの鎮圧命令を拒否し、辞任と出国を要求[13][35]したが、解任を無視し権限がない状態で軍を指揮していた可能性がある[69]チュニジアの大統領は閣僚任免権、軍の最高指揮権など多くの権限を有する。アリ・セリアティ警護責任者から大統領公邸攻撃の情報を受けたベン=アリー前大統領は避難し[70]、軍特殊部隊が大統領宮殿を攻撃[71]、アリ・セリアティ警護責任者は暴動を助長し、国家の安全を脅かしたとして逮捕された[44][72]。一連の報道では、「大統領警護責任者が暴動を助長した」[44]「大統領公邸が襲撃されると虚偽の進言をし、前大統領が避難した」[70](虚偽ではなく実際に宮殿が攻撃された)[71]など一見矛盾する内容が散見され、ウィキリークス外交公電事件[73]などネットメディアと合わせ情報戦の様相も呈している。
以後の影響

メバザ暫定大統領やガンヌーシ首相をはじめ、前政権のメンバーがそのまま留まっているケースが多く、暫定政権成立後も彼らの完全排除を求めるデモが続いた。

また騒乱も一部では続いており、刑務所からの脱走も起こっていると報じられている[74]。また前大統領警護隊をはじめとする前大統領支持派と軍特殊部隊との間で散発的な衝突が起こっている[71]。取材中に治安部隊の放った催涙弾が当たったフランス人のカメラマンが1月18日に死亡し、海外のジャーナリストとしては初の犠牲者となった[75][76]。暫定政権発足後の1月17日以降もデモや銃撃戦は収まらず[77]、17日時点の死亡者は78人に達した[78]

2011年6月30日、フランスのパリ14区に、モハメド・ブアジジの名前をつけた広場が誕生した[79]。同年10月には欧州議会よりアラブの春に貢献したブアジジら5人にサハロフ賞が授与されることが発表された[80]
経済への影響

チュニジアの海岸やカルタゴの遺跡などは観光スポットとなっており、日本やヨーロッパなどからの観光客も多く、チュニジアにとっても観光は重要な産業となっている[81]。治安悪化はこれらによって得られる収入に影響を及ぼす可能性がある。実際、1月14日にはイギリスの旅行会社大手トーマス・クック・グループは観光客1,800人をチュニジアより退避させ、今後のツアーを一部中止するに至っている。1月16日には日本の外務省もチュニジアへの渡航延期を勧告している[82]

また、太陽光発電などに関する計画や共同事業を日本やヨーロッパと進めており、特に日本政府は直前の2010年12月に首都チュニスで開かれた日本・アラブ経済フォーラムにおいて、太陽熱発電に関する共同プロジェクトを開始することでチュニジア政府と合意していため、治安情勢が注視された[11][83]

また、ジャスミン革命の影響は、リビアなどアラブ産油国にも影響が及んでいるため、原油の値上がりなどの影響も発生している。特にインフレと失業が革命後のチュニジアを悩ませている[84]
各国への影響「アラブの春」も参照

アラブ諸国を中心とするほかの独裁国家や専制国家に革命が飛び火し、反政府運動が相次いだ。エジプトアルジェリアモーリタニアなど一部の国では、今回の例を真似て焼身自殺を図る人が相次いでいる[85]

チュニジアに隣接しているアラブ国家であるリビアにおいても、ムアンマル・アル=カダフィ大佐による独裁政権に対してリビア国民が反旗を翻した。カダフィ大佐は、チャドやナイジェリア、エリトリアなどアフリカ人の傭兵を用いて武力を用いて鎮圧を試み流血の事態に陥ったが、その後革命は成功し、カダフィ大佐は殺害された(2011年リビア内戦を参照)。

イタリアでは、ベン=アリー政権崩壊後から3,000人の難民(不法入国者)が同国南部にあるランペドゥーザ島に流入してきている。急激に増えたため収容施設が足りず、やむを得ず野外で過ごす人も現れていた。これを受けイタリア政府が非常事態宣言を発令している[86]

また、アラブ諸国ではないが、共産党による一党独裁体制が継続している中国においても、ジャスミン革命の影響が及び中国各地において反政府デモが発生している。同じく独裁国家である北朝鮮においても動揺が起こっているという。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:130 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef