ジャスティン・ビーバー
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彼はその面談の後すぐにRBMG[9]、アントニオ"L.A."リードがCEOを務めるアイランド・レコードとの契約を取り付けた[10]

2009年11月、7曲が収録されたデビューEP『My World』がリリースされ、アメリカでプラチナディスクに認定された。Billboard Hot 100においてデビューアルバムの7曲がチャートインしたのは、ジャスティン・ビーバーが初めてである[11]

2010年3月、スタジオ・アルバム『My World 2.0』がリリースされる。このアルバムは複数の国で初登場首位を獲得し、アメリカレコード協会ではプラチナディスクに認定された。デビューアルバムのリリースに引き続き、初めてのツアーであるMy World Tourを敢行した。また、リミックス・アルバム『My Worlds Acoustic』や『Never Say Never』をリリースし、自身の伝記映画となる「ジャスティン・ビーバー ネヴァー・セイ・ネヴァー」が公開された。

ジャスティン・ビーバーは世界的に支持されており、彼のファンは"Belieber(ビリーバー)"と呼ばれている。Twitterのフォロワーは1億人を超え、Instagramのフォロワーも2.4億人を超え、YouTubeのチャンネル登録者数も2024年5月現在、7200万人を超えている。2012年にフォーブス誌が発表した「世界で最もパワフルなセレブ」で3位に選ばれた[12]

2018年11月24日、新聞「Vanguard」はシングルとアルバムの売り上げが1億4000万枚を超え、史上最も売れたアーティストの一人であると記載している[13]。妻はモデルのヘイリー・ボールドウィン
生い立ち

1994年3月1日、オンタリオ州ロンドンの聖ヨセフ病院で生まれ[14][15]、オンタリオ州ストラトフォードで育った[16]。父ジェレミー・ビーバーと母パティ・マレットの間に生まれた。パティが妊娠したのは17歳の時であった。パティはキリスト教カトリックの厳格な信徒であり、カトリックでは婚前性交渉中絶は禁止であるためジェレミーとパティは結婚しなかったが、息子の私的生活や職業生活について同じ目標があり親交を持ち続けた。パティは、母ダイアンと継父ブルースの助けを借りて息子を育てた[17]2012年9月には、パティの回顧録「Nowhere but Up: The Story of Justin Bieber's Mom」が出版された。この本は彼女が若い時のことや、息子との音楽業界でのキャリアを追ったものである。「トゥデイ」でのインタビューでも語ったように、周囲の人々が妊娠中絶を勧めながらも彼女はそれを拒否したことについて書かれている[18]。パティは、低賃金の事務で働きながら公営住宅に住み、シングルマザーとして息子を身一つで育てた。ジェレミーは、他の女性と再婚し二児をもうけたが、今でもジャスティンと連絡を取り合っている[19][20]

曾祖父は伝統的なキリスト教プロテスタント家系の厳格な信徒のドイツ人であり、父はイギリス人とアイルランド人の血統を受け継いでいる[21][22]。また母はフランス系カナダ人ケベック人)である[23][24]。彼自身もストラトフォードのフレンチイマージョンを実施する小学校であるJeanne Sauve Catholic Schoolに通った[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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