ジャグ・バンド
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これが、ジャグ・バンドとして初めてのレコーディングとされている[2][1]

この頃になると、ジャグ・バンドはルイビルから飛び火し、メンフィスで新たなバンドが誕生するようになった。メンフィスのバンドの中には、ガス・キャノン率いるキャノンズ・ジャグ・ストンパーズ、そしてウィル・シェイド率いるメンフィス・ジャグ・バンドがあった。ともに代表的なジャグ・バンドとして知られるようになる存在である。この他にも、メンフィス・ミニー、ファリー・ルイスなどジャグ・バンド・スタイルの演奏を展開するミュージシャンが多く登場し、メンフィスのシーンを賑わせた。

1920年代から30年代にかけて、ルイビルとメンフィスの2都市を中心に人気を博したジャグ・バンドだが、1930年後半頃から都会的なスタイルがもてはやされるようになり、その勢いを失っていった。

イギリスでは、1950年代に登場したロニー・ドネガンの「ロック・アイランド・ライン」のヒットにより、大きなスキッフル・ブームが起こるが、このスキッフルは一般的にジャグ・ブロワーを含まないジャグ・バンドを指す言葉となっていた。

一方本場アメリカでは、1950年代後半から60年代にかけてのフォーク・ブームの盛り上がりとともに、ジャグ・バンド・リバイバルが若い世代の間で発生した。その流れの中で登場したのがボストンを拠点としたジム・クウェスキン・ジャグ・バンドであり、ジョン・セバスチャンらが参加したニューヨークのイーヴン・ダズン・ジャグ・バンドであった。双方のバンドに、若かりし頃のマリア・マルダーも参加していた。ルーフ・トップ・シンガーズの曲「ウォーク・ライト・イン」は、ジャグ・バンド唯一の全米ナンバー1ヒットとなり、アラバマ州に隠棲していたガス・キャノンが再発見されレコーデングを行った。またグレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアらも、もともとはジャグ・バンドのメンバーだった。
主なミュージシャン

イーヴン・ダズン・ジャグ・バンド

ガス・キャノンズ・ジャグ・ストンパーズ
[3]

ジム・クエスキン・ジャグ・バンド

ディキシーランド・ジャグ・ブロワーズ

メンフィス・ジャグ・バンド

ルーフトップ・シンガーズ

日本のシーン横浜ジャグバンド・フェスティバル (2006年)

日本でも少数派ながら、ジャグ・バンドは一部で一定の人気を保っており、全国にジャグ・バンドが存在する。2002年には、「横浜ジャグバンド・フェスティバル」が横浜市で開催された。以後、毎年4月にこのフェスティバルは開催されており、例年日本各地からバンドが集結する。
関連項目

デルタ・ブルース

脚注^ a b ブルース・ギター・ブック【保存版】アコースティック・ブルース&ジャグ・バンドの今昔 (シンコー・ミュージック), P. 94
^ジャグバンド風雲録
^http://www.taco.com/roots/cannon.html

参考文献

ブルース・ギター・ブック【保存版】アコースティック・ブルース&ジャグ・バンドの今昔 (シンコー・ミュージック)
外部リンク

Jug Band Music Society (英語)

横浜ジャグバンド・フェスティバル

What's Jug BAND (Mocajava公式サイト) - ウェイバックマシン(2010年1月1日アーカイブ分)


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