ジャガイモ
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Papa はローマ教皇を意味する単語と同じであったため、これを忌避して Patata に変遷したともいわれる[14]
日本における地方名

江戸時代以降、米の収穫に不利な山間・寒冷地での栽培が広まったため、地方名や地方品種も多い。

「にどいも(二度芋)」「さんどいも(三度芋)」- 1年に2回ないし3回収穫できることから[15]

「カブタイモ」「ジャガタライモ」[16]「サントク」[17]

「お助けイモ」- 飢饉の際にジャガイモ活用を勧めたことが役立ったため[18]

「善太夫芋」- 1748年に信州より[19]種芋を移入した飛騨代官幸田善太夫に因む[20]

「清太夫芋」(せいだゆういも、せいだいも)- 18世紀にジャガイモの普及に尽力した甲州の代官中井清太夫に因む[21]福島県埼玉県愛知県ではジャガイモを「甲州いも」と呼ぶこともある[22]

「治助イモ」 - 東京都奥多摩町の特産[23]

「アップラ」「アンプラ」「カンプラ」- オランダ語のaardappel(大地のりんご)に由来する呼称も存在する[24]

「イモ」「エモ」- アイヌ語。日本語の「いも」が由来。「五升芋」が訛った「コソイミ」という呼称もある[25]

歴史

南アメリカ大陸アンデス山脈が原産で、小さなイモの原種が中南米自生している[26]大航海時代ヨーロッパ各地に伝わり、日本へは東南アジアを経て16世紀に伝わった[27]。保存性が高く、当時の船乗りたちの食料として重宝された[27]品種改良が繰り返されて、現在のような大型のイモをつけるような品種が開発されており[26]、世界中の温帯地域で広く栽培されている[26]。「en:History of the potato」も参照
ジャガイモの利用史インカ帝国時代の耕作風景。チャキタクリャ踏み鋤)で耕し、種芋を植え付ける。ワマン・ポマの絵文書より。

ジャガイモは、南アメリカアンデス中南部、ペルー南部に位置するチチカカ湖畔が発祥とされる[28][29]標高3,000 - 4,000メートルの高地で、500年ごろに栽培されたと考えられている[11]。最も初期に栽培化されたジャガイモは、Solanum stenotomum と呼ばれる染色体数24本の二倍体のもので、その後に四倍体の Solanum tuberosum が栽培化され、現在世界中で広く普及するに至ったとされている[30]

このジャガイモがヨーロッパ大陸に伝えられたのは、インカ帝国の時代、15世紀から16世紀ごろとされている。当初、インカ帝国の食の基盤はトウモロコシではないかと伝えられていたが、ワマン・ポマが1615年に残した記録や[31]マチュ・ピチュの段々畑の史跡研究、気象地理条件[注釈 1]、食生活の解析[注釈 2]など、複数方面からの結果が、食基盤がジャガイモであったことを示しており、見直しが図られている[32]

しかし、具体的に「いつ」「誰が」伝えたのかについてはっきりとした資料は残っておらず、スペイン人がジャガイモを本国に持ち帰ったのは1570年ごろで、新大陸の「お土産」として船乗りや兵士たちによってもたらされたものであろうと推測付けられている[33]。さらに1600年ごろになるとスペインからヨーロッパ諸国に伝播するが、この伝播方法にも諸説あり、はっきりとは判明していない[34]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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