ジャイアント馬場
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^ 全盛期は145kg。
^ 晩年に出版した「馬場伝説」でも新潟県ではじめてのプロ野球選手という記述があるが、異説もあり、「文芸春秋」2012年3月号の二宮清純「プロ野球 伝説の検証10」によると、新潟県第1号のプロ野球選手は高田市(のちの上越市)出身の渡辺一衛大映)とされ、巨人にも杉本定介鈴木実など新潟県出身の先輩がいるため、馬場の言う「新潟県第1号のプロ野球選手」は本人の記憶違いとしている。
^ 馬場とアブドーラ・ザ・ブッチャーで争われ、馬場が勝利して通算5回目の優勝を果たし、力道山の記録に並んだ。
^ 日本テレビの運動部長であった松根光雄(後に全日本プロレス社長となる)は、打ち切り発表の会見で「日プロの幹部は常識のある社会人かと思ったが、子供みたいな感覚しかない。もう馬鹿負けしました!」と痛烈に日プロ幹部を批判している。日本テレビは打ち切り後、当面は空いた放送枠を力道山や馬場、猪木の過去の試合の名勝負集などでつなぎ、7月から刑事ドラマである『太陽にほえろ!』を同枠でスタートさせ、1985年11月まで続く長寿番組となっている。
^ ただし、自身の子飼い選手と大木ら日本プロレス残党とでマッチメイクなどで待遇の差を付けていたとされ、冷遇された大木・上田馬之助・松岡巌鉄は不満を表し、日本テレビとの契約途中であったが退団した。
^ 放送問題当時はTBS系列局で、国際プロレス中継TBSテレビからネット受けしたことがあった。一方、当時のNETテレビ系列局は毎日放送だったため、NETテレビでの馬場の出場試合は同局で放送された。
^ 漫画『プロレス・スターウォーズ』では、トップロープに上った馬場が空中で一回転し、遠心力を利用した踵落としを相手の脳天に叩き込むといった破天荒な技だったが、実際にはどのような技であったのかは不明。
^ 米マット界で「関節技の鬼」と同時代のレスラーから恐れられていた選手。タイガー・ジェット・シンもアトキンスから関節技のノウハウを教わっている。
^ 例として「馬場さーん、やっつけちゃって下さーい!」などである。
^ その投稿者は幸いに馬場の大ファンであったため「痛かったけど、嬉しかった」と話している。
^ 実年齢は馬場の方が中谷の8歳年下であった。
^ 建て替えを経て現在の名称はザ・キャピトルホテル 東急である。
^ 本人曰く『いくら飲んでも酔わないので酒は面白くない』とのこと。
^ 自宅であったマンションエレベーターも使わなかったという。
^ 三条市を含む新潟県の多くの地域では正月の餅は雑煮での食べ方と並行して、煮た餅に小豆餡を絡めて食べる風習がある。
^ 当時のピッチャーは、腕を痛めるといけないという理由で腕立て伏せもしなかった。
^ 馬場が後期の猪木に対して、一貫して持っていた感情は不信感であった。
^ 実際は吸収合併であった。
^ アメリカ横断ウルトラクイズK p106にも第448問として収録。
^ 最終的に準優勝となり、大会後に同じ回のワシントンD.C.で敗退した酒井姓の女性(酒井法子との血縁関係は無い。)と結婚した。
^鶴ちゃんのプッツン5」出演の際、MCの片岡鶴太郎にジャイアントコーンのCMソングを歌って欲しいとせがまれ、仕方なく鼻歌程度に歌ったことがある。
^ 実際は、隣の席の清水ミチコが馬場の早押しボタンを押していた。

出典^ a b ジャイアント馬場年譜
^ a b c d e f 二宮清純『プロ野球「衝撃の昭和史」』、文藝春秋、2012年、ISBN 9784166608812
^ a b c ジャイアント馬場は「2階から球が落ちてくる」コントロール投手だった? “巨人の名スカウト”や王貞治らの評価とプロレス転向 - Number Web・2021年12月20日
^ “元DeNA石川氏がアメフト転向、過去にはプロレスG馬場、ゴルフ尾崎ら”. 日刊スポーツ (2021年5月11日). 2022年8月19日閲覧。
^ ジャイアント馬場 プロ野球デビューから現役断念までの足跡
^馬場 正平:個人年度別成績
^ “【猪木さん死去】坂口征二戦“黄金コンビ”初のシングル対決ほか/名勝負ベスト30&番外編”. 日刊スポーツ (2022年10月1日). 2022年12月21日閲覧。
^ “ベストバウトは「ドリー・ファンク・ジュニア戦」…「馬場さんとの違いを見せつけた」…永遠のアントニオ猪木伝説【6】”. スポーツ報知 (2022年10月9日). 2023年4月28日閲覧。
^ 竹内宏介『プロレス醜聞100連発!!』P82-85より。
^ 《日プロ崩壊への序章》「会社が決めたことだ」ジャイアント馬場が迫られた“苦渋の選択”…最古参プロレスジャーナリストがみた“独立決意”の瞬間 - 文春オンライン 2021年11月4日
^ 竹内宏介『プロレス醜聞100連発!!』P104・105より。
^ 竹内宏介『プロレス醜聞100連発!!』P106・107より。
^ 竹内宏介『プロレス醜聞100連発!!』P108・109より。
^ “知っていれば楽しさ倍増!日本のプロレスの歴史を簡単チェック”. 【SPAIA】スパイア (2016年12月16日). 2020年11月15日閲覧。
^ “碑は語る 震災10年 (7) 馬場さん 県立明石公園(明石市)被災の記憶 埋没させぬ”. 神戸新聞NEXT. 神戸新聞社. (2004年9月16日). https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sinsai/10/rensai/200409/0005479732.shtml 2018年4月23日閲覧。 
^ a b c d e ジャイアント馬場が死んだ日「空白の27時間」 - 東スポnote 2021年2月17日
^ ベースボール・マガジン社『日本プロレス事件史』Vol.3 P29より。
^ジャイアント馬場さんが死去 - 朝日新聞
^ “史上初の大調査 著名人100人が最後に頼った病院 あなたの病院選びは間違っていませんか”. 現代ビジネス (2011年8月17日). 2019年12月26日閲覧。
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