ジム_(ガンダムシリーズ)
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注釈^ 『機動戦士ガンダム0080』『0083』などの英語吹き替え版では、「GM」と書いて「ジーエム」と読まれている。
^ 主にテレビシリーズに登場する機体を、後のジムコマンドや後期型ジムなどの後期生産型と比較してこう呼ぶ場合もある。
^ OVA『第08MS小隊』第1話に登場する機体など、時系列的に最も初期に登場した機体をこう呼ぶ場合もある
^ 65,000馬力[11]
^ 小説版『機動戦士Ζガンダム』ではクワトロ・バジーナも搭乗した経験があるが、その性能は彼を満足させるものではなかったものの、後に開発されるMSリック・ディアスの設計思想の基となった[16]
^ 試作型が完成した時点で、量産型をジャブローやルナツーで開発する事は決定していた[19]
^ 資料によっては、RGM-79(E)先行量産型ジム(宇宙戦装備)はRGM-79[E]初期型ジムとも記載される。「RGM-79[E]」はルナツーで開発された空間戦闘仕様の先行生産モデルとして紹介されているが、ジム・コマンド系列機の開発が早く進展したことで開発が中止されたとする資料もみられる[23]
^ 当初、隊長機用のチューン型ジム1機と通常型のジム3機、これに砲撃戦用のジム・キャノン1機の計5機でMS1個小隊を編制する構想だったとされる。しかし、(テレビでの描写に合わせて)さまざまな事情によって何機かがボールなどに置き換えられるケースがあったという。このほか、単一の機種3機で1個小隊を基本隊形として編制し、ジム1個中隊(4個小隊=12機)をボール10機から20機が遠距離支援をするという構成になったとする資料もみられる[25]
^ OVA『機動戦士ガンダム MS IGLOO -1年戦争秘録-』第3話に登場したルナツー基地所属のジム6機は、3機で1小隊編制をとっていた[26]。隊長機を含む4機が90oマシンガンを装備し、2機がハイパーバズーカを装備している。
^ U.C.0080年6月中旬から世界各地の工場にて生産開始したとする資料[28]もみられる。ただし、ガンダムセンチュリーの一年戦争の時期は、現在流通する資料と大幅に異なる。
^ 1996年11月1日に発行される『ホビージャパンMOOK 機動戦士ガンダム/第08MS小隊ビジュアルブック08小隊戦記(1)』では、「ガンダム」のカメラが「デュアルセンサー」であるのに対し、「GMタイプ」の頭部メインカメラは「安価なモノセンサー」であるとされてきた。そして、「索敵能力の低下」を忍んだこのタイプのカメラの採用は「コスト削減」のためだとされている。この設定は1980年のホワイトメタル製フィギュア『メタルコレクション 地球連邦軍モビルスーツGM』(ツクダ)のパッケージ、1981年の『HOW TO BUILD GUNDAM』(ホビージャパン)では、「簡略化」されていて量産に向き、「視界」が広いガンキャノンのカメラを流用したためとしている。
^ なお、後発のG/GS型においてはより生産性を高めるべく、モノアイ式のカメラが採用された[34]
^ 一方、脱出装置が省略されたことからパイロットから多くの非難の声が挙がったとする資料もみられる[10]
^ ジムに教育型コンピュータが搭載されているとした資料も見られる[28]
^ 『マスターグレード ジム』において『マスターグレード スーパーガンダム』の武装型番が誤って転載されており、以降の『ガンダムオフィシャルズ』『ガンダムファクトファイル』などに転載され続けている。『U.C. ARMS GALLERY』の一部において、その誤植が初めて設定として採用された。
^ ただ、kW単位で出力が表現される「ジェネレータ」は1985年以前設定自体が存在せず、ビーム銃器のエネルギーがMS本体に依存するという設定も無かった。なお、ジムの機関出力がRX-78と同じ「65000馬力」であるとする設定は、1981年時点ですでに存在している。
^ コスト削減や、RX-78-2の戦闘データから2本装備する必要性がないと判断されたことから1本の装備構成となったとする資料も見られる[36]
^ 後年、劇場アトラクション『GUNDAM THE RIDE』において護衛のアダム・スティングレイ機としてサーベル2基装備の機体が登場した。
^ テレビ版29話、Gブル出撃直後のアムロ・レイとセイラ・マスの会話より。
^ なお、この場面のジムはビームライフルを持っているが、ズゴックに破壊された際には武装がビームスプレーガンに変わっているという描写ミスがある。ゲームなどでこの場面が再現される際、ジムは最初からビームスプレーガンを装備している。
^ この戦闘はオデッサ戦終了時の宇宙世紀0079年11月9日に発生した。これにより、ジムの初登場時期はジャブロー戦より3週間前倒しされた。
^ ジャン・リュック・デュバル少佐が2機撃破し、残された4機はデュバル少佐が操縦するヅダを追跡中、3機空中分解している(エンジントラブルで離脱した1機はモニク・キャディラック特務大尉が撃破)直後にデュバル機も空中分解した。
^ 『グレートメカニック』2001年刊より[要ページ番号]。本書では、これに加えて「ジオン兵を主人公にしてコックピット視点のゲームを作ると、敵がジムとボールばかりになってしまう」「アトラクションで観客をガンダムに乗せてしまうと『なぜガンダムに何十人も乗れるのか』、観客をジオン側にすると『ジオン公国の敗北という暗さをどう伝えればよいのか』という問題が発生する」とも語られている[要ページ番号]。
^ 本作におけるジムの色の決定は難航し、監督の安彦は陸戦用なのでオレンジでいいのではという意見だったが、カトキと副監督のイムガヒが「どうしても赤いのが映像で見たい」と強行したという[51]
^ 設定画では側面のスラスター部は黒塗りになっており、3発しか確認できない[52]

出典^ a b c d 『モデルグラフィックス1990年5月号』大日本絵画、52-53ページ
^ 書籍『機動戦士ガンダム 公式百科事典 GUNDAM OFFICIALS』376Pより。
^ a b c d 1/100プラモデル・マスターグレードジム Ver.2.0のパッケージ底面の解説より。
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