ジハード
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これは通常、神の道を実現するために、各個人が自らの心のなかの堕落・怠惰・腐敗などの諸悪と戦う克己の精神を意味しており、強い意志で自分をよりよくしていこうという努力である[3][5][11]。また、これらの悪を増長させる外来文化の導入などによる環境変化に対する抵抗もまた、「内へのジハード」としての戦いであると見なされる[5]。『クルアーン』には、各所に「努力する者には神が報いてくださる」としか解釈できない句が数多く登場する[12]。ムハンマド自身は、しばしば同時代のユダヤ人をその信仰において「形式主義者」と非難し、ムスリムに対しても、たとえば「形式だけの礼拝なら、しない方がまし」と宣言したように、努力することそのものを重んじたのである[12]

「内へのジハード」は「大ジハード」と呼ばれ、社会の平和的な運営には欠くべからざるものとして法学者や為政者からも重視される。ジハードを「聖戦」と訳して、単なる戦いという意味でこの言葉を理解することは誤りであり、「布教のための戦い」と理解することもまた誤りであって、「戦い」の意味を有する場合でも、あくまでも「防衛戦」を指している[5]。現代においては、多くのイスラーム諸国において為政者、法学者、知識人ともに「内へのジハード」を重視する傾向が強い。
外へのジハード(小ジハード)

「外へのジハード」は一般に「聖戦」と訳されるジハードであり、イスラーム共同体外部への侵略戦争、あるいはイスラーム共同体外部からイスラーム共同体を守るための戦いである。この戦いが「ジハード」の名で称されるためには、法的根拠を必要とする[5]
「外へのジハード」の古典的定義とその内容

イスラーム法(シャリーア)は、正統カリフ時代のイスラーム共同体(ウンマ)からアラブ帝国(ウマイヤ朝)、イスラーム帝国アッバース朝)へと発展していった8世紀から10世紀頃にかけて整備された。シャリーアは、初期イスラームの拡大戦争を支えたイデオロギーである「外へのジハード」を以下のような観念にまとめた。すなわち、

「(外への)ジハードとは、イスラーム世界を拡大あるいは防衛するための行為、戦い」

というものである。

伝統的なシャリーアの理念においては、イスラーム共同体の主権が確立され、シャリーアが施行される領域、"ダール・アル=イスラーム" ??? ??????(「イスラームの家」=イスラーム世界)に全世界とその人民が包摂されていなければならない。しかし、現実には「イスラームの家」の外部には、イスラームの力がおよばない"ダール・アル=ハルブ" ??? ?????‎(「戦争の家」=非イスラーム世界)が存在する。したがって、「戦争の家」を「イスラームの家」に組み入れるための努力、すなわちジハードを行うことがムスリムの義務とされるのである[5]

上の定義から、イスラーム共同体の支配に服さない異教徒の討伐は原則として正しい行為であり、極端にいえば、イスラーム共同体は最終的には全世界を征服し、異教徒を屈服させなければならないという論理さえ導き出される。この論理の根拠としては、『クルアーン』第2章第193節にある「騒擾がすっかりなくなる時まで。宗教が全くアッラーの(宗教)ただ一条になる時まで、彼等(メッカの多神教徒)を相手に戦いぬけ」がある[クルアーン 2]。したがって二つの世界(家)の間は常に戦争状態にあり[13]、ジハードがムスリムの永続義務である以上、戦争状態がむしろ常態だとの指摘がある[14]

しかし同時に『クルアーン』は、戦争が正当なジハードたりうるのは異教徒が戦いを挑んできた場合に限られることも示しており、第2章第190節には、「あなたがたに戦いを挑む者があれば、アッラーの道のために戦え。だが侵略的であってはならない。本当にアッラーは、侵略者を愛さない」[クルアーン 3]とある。加えて前述の第2章第193節後半部分[注釈 3]に従えば、異教徒から挑まれた戦争であっても、相手がイスラーム共同体と和平を結び、「不義の戦争」を停止しようとしているならば、イスラーム共同体の側も害意を捨てて和平に努めなければならない。つまりイスラーム共同体は、イスラームとの戦いを望まない「戦争の家」勢力とならば、条約を結び外交関係を樹立することが可能であると理解される。これら外交関係を取り結んだ諸国は「和平の家」と呼ばれ、「戦争の家」とは区別される[注釈 4]。こうしたことから、「戦争の家」観と好戦的ジハード思想は古典期に成立した法学思想に過ぎず、クルアーンの教えではないとの指摘がある[15]

もし、ある戦争行為を「ジハード」として遂行することが必要となった場合は、カリフムフティーと呼ばれる宗教指導者に対し、その戦争がジハードとして認められるかどうかを諮問しなければならない。その結果、ムフティーが合法であるとするファトワーを発することで、統治者は「ジハード」を宣言することができる。

ジハードには、このような法的根拠が必要であり、その根拠のないものを「ジハード」とは呼べない[5]。開戦が「防衛的ジハード」であり、法的根拠を有する場合は、全ムスリムは、国家や民族を超えて全イスラーム教徒が、直接的にであれ間接的にであれジハードに参加しなくてはならない。ただし、歴史的には当該統治者の臣民以外にジハード参加の強制力を及ぼすことは難しかった。これに対し、イスラーム共同体拡大のための侵略戦争の場合、参戦義務は統治者の家臣と臣民に限られる[16]

また、イスラームのジハード思想では、異教徒を討伐し、その結果として非ムスリムを服属させることは認められていても、征服地の異教徒に対する強制改宗は明確に否定されている。これは、『クルアーン』第2章256節の「宗教に無理強いは禁物」という句を根拠にしており、『クルアーン』では、信じるのも信じないのも本人の自由であることが強調されている[17]。したがって、ジハードは布教のための戦争であってはならない[5]

さらにいえば、「イスラームの家」を拡大する行為とは必ずしも戦闘という手段に限定されない。中央アジア東南アジアでの布教のように平和的な方法によって「イスラームの家」が拡大された例も少なくない。その担い手は、これらの地域に赴いたムスリム商人やイスラム神秘主義者(スーフィー)の聖人たちであった。また、「イスラームの家」の支配下に入った異教徒たちは、イスラームの主権下で一定程度の人権を保障された隷属民「ズィンミー」たることを強制され[注釈 5]差別待遇を甘受さぜるを得なかったが、信教の自由を認められるなど比較的寛大に扱われたことも少なくなかった。

また、時には、「戦争の家」に住む異教徒が、「イスラームの家」に対して戦争を仕掛けてくることも当然ありうる。このような場合、イスラーム共同体防衛のためのジハードがムスリムの義務となる。

防衛戦に従事する者(聖戦士)を、ムジャーヒド(単数形)およびムジャーヒディーン(複数形)という。彼らに対して、唯一神アッラーは『クルアーン』を通じて「神の道に戦うものは、戦死しても凱旋しても我らがきっと大きな褒美を授けよう」と教え、ジハードで戦死すれば殉教者として最後の審判ののち、必ず天国に迎えられると約束する。一方で、『クルアーン』は「敵に背を向けるものは、たちまち神の怒りを背負い込み、その行く先はジャハンナム(地獄)である」と語り、ジハードを怠ることを厳しく非難している[注釈 6][注釈 7]
「外へのジハード」とキタール

イスラームでは、世界史において繰り広げられてきた普通の戦いを、ジハード(聖戦)とは明確に区別し、それを「キタール(??????‎ qit?l)」と呼称している[5]。キタールとは、侵略戦争や領土拡大、戦利品や奴隷の獲得、資源確保、植民地確保など、人間のもつ単純な欲望にもとづいておこなわれる戦争のことであり、また、憎悪から生まれる行為や復讐の行為もキタールであって、いずれも否定されるべき行為とされている[5]

キタールは、アラビア語の「カタラ(殺した)」という言葉を語源としており、「世俗的な欲望にもとづいた戦争」を意味するのに対し、ジハードが想定している戦争は、あくまでも、ムスリムから見て正当な防衛戦争であり、イスラーム共同体(ウンマ)の利益になるものでなければならない。ゆえに、開戦に際しては宗教指導者の承認を必要とし、「アッラーの御名において」という呼びかけのもとにおこなわれるのである[5]

しかしながら、後述するように、時のムスリム政権がキタールをジハードと詐称して侵略戦争を行った例は多い[18]
イスラーム共同体と「ジハード」

ジハードは、イスラーム共同体を外からの攻撃から守ることだけではなく、内側に生じる崩壊の要因を除去するための奮闘努力を含んでいる[5]。それを、「生命・財産を捧げてもおこなうべし」としたところから「戦い」の言葉で形容されているものと考えられる[5]


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