イタリア戦争の余波でイングランドとフランスの間で戦争が始まると、イングランドとの平和条約とフランスとの古い同盟 (Auld Allianc) の板挟みになった。1513年イングランドの新しい王ヘンリー8世がフランスへの侵入を図ると、イングランドへ宣戦布告したが[7]、フロドゥンの戦い(英語版)でノーフォーク公に大敗し、ジェームズ4世も戦死した[8][9]。 マーガレット・テューダーとの間には以下の4男2女が生まれたが、三男のジェームズ以外は早世した。 マリオン・ボイドとの間に以下の庶子をもうけた。 ドラモンド卿ジョンの娘マーガレットとの間に以下の庶子をもうけた。 バカン伯ジェームズ・スチュワートの娘イザベラとの間に以下の庶子をもうけた。
子女
ジェームズ(1507年2月21日 - 1508年2月27日)
女子(1508年7月15日) - 生まれた日に死去
アーサー(1509年10月20/21日 - 1510年7月14/15日)
ジェームズ5世(1512年 - 1542年) - スコットランド王
女子(1512年11月) - 生まれた日に死去
アレグザンダー(1514年4月12/30日 - 1515年12月18日)
アレグザンダー - セント・アンドルーズ大司教(1493年? - 1513年)
キャサリン(? - 1554年以降) - 3代モートン伯ジェームズ・ダグラスと結婚
ジャネット・ケネディーとの間に以下の庶子をもうけた。
ジェームズ・ステュアート(1500年 - 1544年) -初代マリ伯
マーガレット(1497年? - ?) - ゴードン卿ジョンと結婚、のちサー・ジョン・ドラモンドと結婚。
ジャネット(ジョーン)(? - 1560/3年) - 3代フレミング卿マルカムと結婚
脚注^ James IV king of Scotland
^ 森、p. 225
^ 森、p. 234
^ 森、p. 231
^ 森、p. 237
^ 森、p. 241
^ 森、p. 239
^ 森、p. 240
^ トランター、p. 193
参考文献
森護 『スコットランド王室史話』 大修館書店、1988年
ナイジェル・トランター 『スコットランド物語』 大修館書店、1997年
Alison Weir, Britain's Royal Families, Vintage, 2008.
表
話
編
歴
スコットランド王(39代、1488年 - 1513年)
アルピン朝
ケネス1世848-858
ドナルド1世(英語版)859-863
コンスタンティン1世(英語版)863-877
エイ(英語版)877-878
ギリック(英語版)878-889
ヨーカ(英語版)878-889
ドナルド2世889-900
コンスタンティン2世(英語版)900-942
マルカム1世(英語版)942-954
インダルフ(英語版)954-962
ダフ(英語版)962-967
カリン(英語版)967-971
ケネス2世(英語版)971-995
コンスタンティン3世(英語版)995-997
ケネス3世(英語版)997-1005
マルカム2世1005-1034
アサル朝
ダンカン1世1034-1040
マリ朝
マクベス1040-1057
ルーラッハ1057-1058
アサル朝
マルカム3世1058-1093
ドナルド3世1093-1094
ダンカン2世1094