ジェームズ4世_(スコットランド王)
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2人の間には4男2女が生まれたが、成人したのは三男のジェームズ(のちのジェームズ5世)だけだった[6]

イタリア戦争の余波でイングランドとフランスの間で戦争が始まると、イングランドとの平和条約とフランスとの古い同盟 (Auld Allianc) の板挟みになった。1513年イングランドの新しい王ヘンリー8世がフランスへの侵入を図ると、イングランドへ宣戦布告したが[7]、フロドゥンの戦い(英語版)でノーフォーク公に大敗し、ジェームズ4世も戦死した[8][9]
子女

マーガレット・テューダーとの間には以下の4男2女が生まれたが、三男のジェームズ以外は早世した。

ジェームズ(1507年2月21日 - 1508年2月27日)

女子(1508年7月15日) - 生まれた日に死去

アーサー(1509年10月20/21日 - 1510年7月14/15日)

ジェームズ5世(1512年 - 1542年) - スコットランド王

女子(1512年11月) - 生まれた日に死去

アレグザンダー(1514年4月12/30日 - 1515年12月18日)

マリオン・ボイドとの間に以下の庶子をもうけた。

アレグザンダー - セント・アンドルーズ大司教(1493年? - 1513年)

キャサリン(? - 1554年以降) - 3代モートン伯ジェームズ・ダグラスと結婚


ジャネット・ケネディーとの間に以下の庶子をもうけた。

ジェームズ・ステュアート(1500年 - 1544年) -初代マリ伯


ドラモンド卿ジョンの娘マーガレットとの間に以下の庶子をもうけた。

マーガレット(1497年? - ?) - ゴードン卿ジョンと結婚、のちサー・ジョン・ドラモンドと結婚。

バカン伯ジェームズ・スチュワートの娘イザベラとの間に以下の庶子をもうけた。

ジャネット(ジョーン)(? - 1560/3年) - 3代フレミング卿マルカムと結婚

脚注^ James IV king of Scotland Encyclopadia Britannica
^ 森、p. 225
^ 森、p. 234
^ 森、p. 231
^ 森、p. 237
^ 森、p. 241
^ 森、p. 239
^ 森、p. 240
^ トランター、p. 193

参考文献

森護 『スコットランド王室史話』 大修館書店、1988年

ナイジェル・トランター 『スコットランド物語』 大修館書店、1997年

Alison Weir, Britain's Royal Families, Vintage, 2008.










スコットランド王(39代、1488年 - 1513年)
アルピン朝

ケネス1世848-858

ドナルド1世(英語版)859-863

コンスタンティン1世(英語版)863-877

エイ(英語版)877-878

ギリック(英語版)878-889

ヨーカ(英語版)878-889

ドナルド2世889-900

コンスタンティン2世(英語版)900-942

マルカム1世(英語版)942-954

インダルフ(英語版)954-962

ダフ(英語版)962-967

カリン(英語版)967-971

ケネス2世(英語版)971-995

コンスタンティン3世(英語版)995-997

ケネス3世(英語版)997-1005

マルカム2世1005-1034

アサル朝

ダンカン1世1034-1040

マリ朝

マクベス1040-1057

ルーラッハ1057-1058

アサル朝

マルカム3世1058-1093

ドナルド3世1093-1094

ダンカン2世1094


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