ジェームズ・ワット
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この当時、ボイラーの改良は初歩的な段階にあり、爆発の危険性や漏れの問題が伴っていた。ワットは高圧での使用を禁止し、当時の蒸気機関はほぼ大気圧前後の圧力で運転された。

1794年、ワットとボールトンは蒸気機関製造会社ボールトン・アンド・ワット社を設立し、これは大企業へ成長した[16]。1824年までに製造した蒸気機関の通算台数は1,164台に至り、馬力は26,000に達した[17]。ボールトンは商才を発揮し、2人は一財産を築いた。
特許裁判

1781年当時、エドワード・ブルはワットとボールトンの元、コーンウォールで蒸気機関の組み立てに従事していた。1792年に彼は自ら設計した蒸気機関の製作を始めたが、これが凝縮器分離型であったためワットの特許を侵害していた。同じ頃、ジャベツ(英語版)とジョナサン(英語版)のホーンブロワー兄弟も機関組み立ての仕事を始めた。ニューコメンの蒸気機関に凝縮器を取り付ける改造を行う者も現れたため、コーンウォールの鉱山主たちはこれでワットの特許が権利行使できないと考えた。鉱山主たちが支払いを拒んだため、通常21,000ポンドのボールトン・アンド・ワット社の収入は、2,500ポンドにまで落ち込んだ。やむを得ずワットらは法廷にこの案件を持ち込んだ[18]

ワットらは、まず1793年にブルを訴えた。この時点で陪審はワットを支持し、侵害者たちに差し止め命令が下されたものの、オリジナルの特許明細書の有効性は判断されずに別の審理へ持ち越され、特許使用料はエスクロー(第三者預託、供託)に付された。翌年に行われた特許明細書の有効性を争う審理でも決着はもたらされなかったが、差止命令はそのまま有効であったため、ジョナサン・ホーンブロワー以外の特許侵害者は和解に応じ始めた。まもなくホーンブロワーは訴えられ、1799年の4件の裁判官の判断はいずれもワット有利となった。ボールトン・アンド・ワット社は支払われるべき金額全てを回収することはできなかったものの、訴訟は全て判決もしくは調停により解決した。時間と労力を大きく費やしたものの、最終的にはボールトン・アンド・ワット社の有利に決着した。
動力(仕事率)の単位

1765年に蒸気機関を発明した際、単位時間の仕事量を数値的に表せる単位を決める必要があった。ワットは馬に荷物を引かせ、33,000ポンド(約15トン)の荷物を1分間に1フィート(約30cm)引ける能力を1馬力と定め、動力の単位を設けた[8][19]
複写機ジェームズ・ワット・アンド・カンパニー社製の複写機(1815年製造)

1780年以前、手紙や絵などを複写する有効な手段は無く、せいぜい複数のペンを連結した器械がある程度だった。ワットは当初この方式の改良に乗り出したが、あまりに煩わしい機構にこれを放棄し、別な解決策を模索した。彼は、インクが裏まで染み込みやすい薄いを使い、それに別の紙を重ねて圧力を掛けることによって、紙から別の紙に内容を転写する手法を考案した[20]

1779年に開発に着手したワットは、インクの成分や紙の選定、薄い紙を濡らしてどのくらいの圧力をかければよいか、などの実験を繰り返した。何度もの試行錯誤を経なければならなかったが、ワットはすぐに特許取得に充分な手法開発に成功した。ワットはボールトンの出資とジェイムズ・キアの経営による別会社ジェームズ・ワット・アンド・カンパニー社を創設した。複写技術は一般に使用されるには未だ改良の余地が多かったが、これも数年のうちに成し遂げられた。ワットとボールトンは1794年には事業を息子たちに引き継いだ[21]。この複写機は商業的成功を収め、20世紀まで利用されていた。
化学実験

ワットは若い頃から化学に興味を持っていた。1786年末、パリ滞在時にクロード・ルイ・ベルトレー二酸化マンガン塩酸を反応させて塩素を発生させる実験を見る機会を得た。既に塩素の水溶液は繊維漂白に効果を持つことがベルトレーによって発表され、多くの競争相手が高い関心を寄せていた。ワットはイギリスに戻ると、早速商業的に折り合う事業化を目指した実験へ着手した。彼は、塩と二酸化マンガンおよび硫酸を用いて塩素を作り出すことに成功し、安価な生産手段に繋がる端緒を掴んだ。そして、薄いアルカリ液に塩素を通し、漂白効果を持つ混濁液を作り出した。ワットはすぐにグラスゴーで漂白の仕事をしていた義父ジェームズ・マクレガーにこの実験結果を伝えた(製法を秘密にしていたともいわれる)[22]

妻のアンと義父ジェームズ・マクレガーの協力を得てワットは事業を拡大し、1788年3月にはマクレガーは1500ヤードの布地を漂白できるようになった。しかし、ベルトレーも塩と硫酸を用いる塩素発生法を見つけ、これを広く発表した。この改良に多くの者が参入した。塩素の精製には未だ改良の余地があり、中でも難題だったのは液体を輸送しなければならなかった点である。ワットはやがて競合する開発者に追いぬかれてしまった。1799年にチャールズ・テナント(英語版)が、輸送問題を解決する粉末固体のさらし粉(次亜塩素酸カルシウム)の特許を取り、これによって塩素の精製ははじめて商業的な成功を収めることとなった。
晩年ワットの工房

特許の有効期限が切れた1800年、ワットは引退した。マシュー・ボールトンとの契約関係も終了したがこの協力関係は彼らの息子たちに引き継がれ、長年工場に勤める技術者ウィリアム・マードックの協力を得て会社は盛栄を維持した。バーミンガム、ハンズワースのワットの家、「ヒースフィールド」

ただし、ワットは完全に発明から手を引いた訳ではなく、スタッフォードシャーのハンズワース(英語版)にあった自宅「ヒースフィールド(英語版)」の屋根裏部屋を工房に改造して、望遠鏡を使った新しい距離計測法の開発や、石油ランプの改良や、蒸気式絞り器・彫刻複写機の開発などに取り組んだ。

ワットは2番目の妻とフランスドイツ旅行も楽しみ、スランウルスル(ウェールズ中部の村)から1マイルのところにあった「ドルドウロッド・ハウス」という別荘を購入して大いに手を加えた。

1819年8月25日、83歳の時に自宅で亡くなり、同年9月2日に埋葬された。

彼が使っていた屋根裏の工房は、ワットの伝記を執筆していた作家J.P.ミューアヘッドがそこを訪れる1853年まで閉鎖されたままであった。以来この部屋は、時折訪問する人々はいたものの一種の神殿のように扱われており、特許庁に移築しようという計画も実行されなかった。しかし1924年に家屋が取り壊されることになり、部屋とすべての調度品はロンドンのサイエンス・ミュージアムに寄贈された。そこでは、ワットの工房が完全に再現され[23]、何年間も展示公開された。やがてギャラリーの閉鎖とともに封鎖されたもののそのままの状態で保存されており、2011年3月にはサイエンス・ミュージアムの常設展「ジェームス・ワットと現代」でふたたび公開されることとなった[24]
人物ワット製作の分離凝縮機。台所用品などを工夫し製作された[7]
人柄

ワットは豊かな想像力を持つ熱心な発明家だった。彼は手先の器用さのみならず、系統的な科学的測定を行うことで自身の開発品を定量的に評価することが出来、その機能を深く理解していた。ハンフリー・デービーはワットについて「ジェームス・ワットのことを実務的な機械屋だと考えている人は、彼のキャラクターをひどく誤解している。同様にワットは自然哲学者とも違うし化学者とも違う。発明品を見れば、ワットがこれらの科学分野の豊富な知識と天才的なキャラクターを持っていることを見て取れるし、そしてそれらが合わさって実用化が果たされているのも分かるだろう」[25]

彼は産業革命を押し進めた多くの有能な人物たちから尊敬を集め[26]ルナー・ソサエティの重要メンバーであり[2]、仲間と思慮深い討論を行う人物で、いつでも自らの視野を広げることに関心を持っていた[27]。彼は友人知人と良い関係を長く続けることができた。

ワットは手紙をたくさん書いたことでも知られる。コーンウォール滞在中の数年間、彼はボールトンへ毎週長い手紙を認め送った。一方で、例えば王立協会の哲学会報などへの研究成果の発表は面倒臭がり、代わりに特許でアイデアを表明することを好んだ[28]

彼は事業家としてはあまり有能と言えず、蒸気機関の使用希望者との費用などの交渉を特に嫌った。退職するまでいつも収益状況に敏感な心配性の人物だった。健康にも優れず、神経症の頭痛と鬱屈に悩まされていた。
新技術の妨害

ワットの下で働いていた技術者のウィリアム・マードックは、コーンウォールに派遣されてこの地方での蒸気機関の設置工事の指導とともに、ワットの持っている特許への侵害の監視にあたっていた。ワットの蒸気機関はせいぜい2 - 3気圧程度で動作しているものであったが、これより高い気圧で動作させるのは危険であるとして、ワット自身が開発を禁じていた。しかしマードックは、ワットの目が届かない地方にいるのを幸いに高圧蒸気機関の研究を重ね、さらに蒸気機関で走る車両を開発して、1785年に特許を取得しようとした。ところが、その噂を聞きつけて様子を見にきたボールトンに見つかってしまい、開発した模型を叩き壊して元の業務に戻されるはめになってしまった。これに危険を感じたワットが自分のそばにマードックを呼び戻し、以降は自分の蒸気機関の改良作業だけに従事するように命じている。ワットは既に成功して、自分の開発した蒸気機関が危険であると思われるのを恐れて、新しい技術である高圧蒸気機関の開発を妨害した側面がある[29]


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