ジェームズ・ディーン
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ディーンが下積み時代から愛用していた1889年製の懐中時計が2013年に32万5000香港ドル(約400万円)で落札された[9]

『理由なき反抗』で着ていた赤いジャケットが2018年にオークションに出品され、予想落札額は40?60万ドル(4,200?6,400万円)とされた[22]。なお落札されたかどうかは不明。

ディーンがある自動車イベントの際にそのステアリングを握って賞賛し、またフィル・ヒルがその車両でレースに参加し、そしてポルフィリオ・ルビロサが実際に所有していたという、屈指の経歴を持つ1954年製のフェラーリ・500モンディアル(英語版)が2018年12月にオークションに出品された[23]。予想落札価格は600万ドル(約6億円)とされたが、落札されたかどうかは不明。

その他

生前に"Dream as if you'll live forever. Live as if you'll die today.(永遠に生きるつもりで夢を抱け。 今日死ぬつもりで生きろ)"と述べたといい、彼の人生観を表した名言として知られている
[24]

『理由なき反抗』と『ジャイアンツ』で穿いていたジーンズは、リーの「ライダース101」で、リーバイスではない。

『理由なき反抗』で着ていた赤いジャケットは、マクレガー社の防寒用上着「ナイロン・アンチフリーズ」で、ゴルフ用ジャケットの「ドリズラー」ではない。また、スイングトップと呼ぶのは間違い。これは日本のヴァンジャケットが創作した和製英語である。

遺作であった『ジャイアンツ』の彼の俳優業最後のシーン(晩年のジェット・リンクが倒れる)はジョージ・スティーブンスの意向に沿わず、セリフはカットされ『理由なき反抗』で共演したニック・アダムスによる吹き替えである。

ディーンはポルシェ・550をLittle Bastard(リトルバスタード)と名付け大切にしていたが、事故を起こす前から知人らには不吉な予感を感じさせていたという[25]。その予感は俳優のアレック・ギネスに「あの車に乗っていたら、来週には死体で発見されるかもしれない」とまで語らせた。また事故車両の残骸は至る所を転々としたが、その車両の存在する各所で不慮の事故が発生したため、"ポルシェ・550の呪い"と言われた。

1996年公開の映画『クラッシュ』には、事故の模様を本物のポルシェ・550を使って完全再現するシーンが出てくる。

ディーンの墓は理由は不明だがピンクのような色をしており、多くのファンによって削り取られたりキスマークがつけられている[26]

故郷インディアナの生家は「ジェームズ・ディーン・ギャラリー(James Dean Gallery)」として記念館に改装され、無料公開されている。またその付近には彼の名を冠した記念公園もいくつか存在する。

初代ウルトラマンのファイティングポーズは、『理由なき反抗』の中でディーンが猫背にナイフを構えている姿から生み出された。そしてそのポーズは、後に『新世紀エヴァンゲリオン』の初号機のファイティングポーズにも採用された[27]

『ジャイアンツ』の公式カメラマンであった写真家サンフォード・ロスが撮影したディーンが事故死するまでの85日間を撮影した「オリジナルの写真ネガ」は神戸在住のコレクター大西清太がロスの妻から1987年に受け継ぎ、2016年3月から3年以上かけてデジタル修復された[28][29]

落語家の六代目三遊亭円楽は「ディーンと同じ誕生日(2月8日)」ということを落語のまくらや笑点でのネタにしていたが、命日(9月30日)も同じとなった。

脚注[脚注の使い方]
注釈^ この小説が1954年にブロードウェイで上演された際ディーンも出演している。本人は配役その他の不満から途中降板したが、エリア・カザンはこの舞台を見て映画「エデンの東」への起用を決めたという。en:The Immoralist (play)
^ この事故のわずか13日前、安全運転を呼びかける公共CMの収録を終えていた。
^ 大西はより巨大な像の設置を計画していたが、地元の土地所有者と折り合いがつかず、その設置は断念している。
^ ただし「チームメイトの誰とも距離を置いたままで、いつも一人ぼっちでいた」といった当時の周囲の人々の証言もある。
^ ディーンは男色の気があったと噂されており、現代で言うバイセクシャルであったと関係者から度々証言されている。
^ なお彼自身もまた、私生活では懐中時計を愛用したり[9]クラシック音楽を愛好したり[10][11]と、20代にしては保守的とも言える傾向を垣間見せていた(「#エピソード/トリビア」でも記載)。
^ 一説に、公の場を苦手としていたディーンの性格によるためと言われる。

出典^ Steve Chawkins (October 1, 2005). "Remembering a 'Giant' Fifty years after James Dean's death, fans gather at the site of his fatal crash". Los Angeles Times. Archived from the original on October 25, 2013. Retrieved December 21, 2014.
^ Graham, Don"Giant: Elizabeth Taylor, Rock Hudson, James Dean, Edna Ferber, and the Making of a Legendary American Film", 2018, p.78
^ a b “反抗する若者たち”. ポルシェジャパン. 2020年12月24日閲覧。
^ Peter Winkler, George Stevens"Real James Dean: Intimate Memories from Those Who Knew Him Best", 2016
^ Riese, Randall"The Unabridged James Dean: His Life and Legacy from A to Z", 1991, Contemporary Books, p.520
^ Dalton, David. James Dean: The Mutant King: A Biography, Chicago Review Press (1974)
^ 「J・ディーンは性的虐待を受けていた、E・テイラーさんが明かす」AFPBBnews
^ “SmaSTATION-5”. www.tv-asahi.co.jp. 2012年5月23日閲覧。
^ a b 「ジェームズ・ディーンが下積み時代から愛用する懐中時計」webChronos
^ a b Nicholas Ray (September 10, 1993). I Was Interrupted: Nicholas Ray on Making Movies. University of California Press. p. 111.
^ a b Peter Winkler; George Stevens (August 1, 2016). Real James Dean: Intimate Memories from Those Who Knew Him Best. Chicago Review Press. p. 365
^ 「エスクァイア・ザ・ビッグ・ブラック・ブック」ハースト婦人画報社
^ 「市川雷蔵と勝新太郎の魅力の違いとは?大映男優祭で佐藤忠男が解説」MOVIE WALKER PRESS。
^ In his 1992 biography, James Dean: Little Boy Lost, journalist Joe Hyams, who claims to have known Dean personally, devotes an entire chapter to Dean's relationship with Angeli.
^ "Racing" JamesDean.com

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