ジェームズ・ディーン
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? デイヴィッド・ダイアモンド[2]

ディーンの性格には、感情を表出しながらも内向的な側面があった。デビュー作『エデンの東』の著者であるジョン・スタインベックは「気難しい性格で、反抗的かつ感情的でありながら同時に冷静な一面も持ち合わせており、シニカルで傷つきやすい」と彼を表現し、主人公であるケイレブ・トラスク役へと推薦した[3]。またディーンの友人であった(庇護者とも言えた)デイヴィッド・ダイアモンドは、「ジミーはビンを割って自身の手首を切ろうとしたりと、非常に自己破壊的であった。自殺未遂も何度かあった。マーロンはそれに気づいていた」と述べている[4]。あるいは『ジャイアンツ』で共演した女優エリザベス・テイラーはディーンについて、「彼は傷つくことをとても恐れていました。彼は万が一にもそれが裏目に出て自分自身に対して行使されることを恐れていたのです」と述べている[5]

高校時代には野球バスケットボールで活躍したほか、州主催の朗読コンテストでは優勝を飾り、そしてUCLA時代には親友のウィリアム・バスト(英語版)と共にダブルデート(互いに相手は女性)をしたりと[6]、一見順風満帆とも言える学生時代を過ごした[注 4]。しかしその一方で、生まれながらにして存在していた父親との確執、幼少期に経験した"彼の唯一の理解者"であった母親の死、そしてその後の牧師からの性的虐待[7]や自身の性的マイノリティへの葛藤[注 5]など、その後ろ向きな生き方は彼の心に暗い影を落とし、常に不安感や孤独感に苛まれていた。そんな状況にあった彼が高校時代に出会った書物が『星の王子さま』であり、「心で見なければものごとはよく見えないってこと。大切なことは目に見えないんだよ」という言葉は、以後彼の信条となった。

俳優としては、模範的な演技や台本にとらわれないアドリブ(メソッド演技法)を多用したことで知られ、『エデンの東』では不仲の父親役を演じるレイモンド・マッセイにわざと嫌われるように、撮影期間中ろくに挨拶もせず横柄に振る舞い、マッセイを本気で怒らせたことがある。時に周りのことを気にもかけないような彼の演技に対するストイックな性格がそれに拍車をかけ、他の役者仲間から「異端児」と呼ばれることも少なくなかった[8]。ディーンは特に『理由なき反抗』の演技で1950年代の若者の鬱屈や反抗を端的に表現した。このため、同時代の多くの若者は彼をモデルにし、そしてその死は多くの同世代の人々に暗い影を落とした。芸歴はわずか4年間、主演俳優になって半年足らずという短いキャリアと突然の死、大規模な公開葬儀がディーンを時代を超えた青春の象徴とした。彼はハリウッドの世俗の垢に呑まれずに生きた俳優として、ある意味幸運であり彼の神格化は完全なものとなった。スツールに座ってタバコをふかすディーン(1955年)イタリアの芸術家Graziano Origaによって製作されたディーンのポップアート(1975年製作、素材は『エデンの東』のスチル写真

またディーンは、演技力もさることながら、その小柄でありながら(後述)もスーツからラフなジャケットジーンズウエスタンウエアに至るまでのあらゆる衣装を着こなす独自のファッションセンスに、その幼さとアダルトな雰囲気を併せ持つ憂いを帯びたクールでフォトジェニックな表情やしぐさは、他の俳優やモデルに類を見ない魅力を持っていた。彼の短いキャリアの中で撮影された写真の多くは、現代に至ってもなおポスター雑誌の表紙を幾度となく飾っている。ディーンを撮影した写真家としては、フィル・スターン(英語版)、デニス・ストック(英語版)、ロイ・シャット、サンフォード・ロスなどが著名である。中でもデニス・ストックによって1955年初めに撮影された、ディーンが雨の日のタイムズスクエアを黒いトレンチコートのポケットに両手を突っ込み肩をすくめながらタバコをくわえて歩く様子のモノクロスナップは、20世紀を代表する名写真となった。この写真の誕生前後を描いた物語が『ディーン、君がいた瞬間』として2015年に映画化された。

大の愛煙家であったことから、残された写真の多くでタバコが共に写っており(くわえタバコを好んでいた)、一つのアイコンとなっている。加えて強度の近視であったことから私生活では眼鏡を愛用していたが、その姿もまたファッションアイコンとして、今なお多くの人々に注目されている。あるいは、ディーンは主演作のイメージや当時の時代背景、またその早世から「青春の象徴」「若者文化のパイオニア」「永遠の悩める若者像」などとして扱われることも多いが、遺作『ジャイアンツ』で見せた幅広い役回りやスナップ写真で時折見せた野性的かつ渋みのある表情など、その存在感は決して若者の間のみに留まるものではなく、ダンディアイコンとしての役割も果たしていた[注 6][12]

身長は諸説あるが170cm前後であったと言われており、それはハリウッドの「ハイ・ワイド・アンド・ハンサム」という正統派二枚目としての固定観念からは、かけ離れていた。しかし、その体格が彼の哀愁や孤独といったリリカルブルーなイメージを増幅させ、彼の大きな魅力ともなっていた。彼自身は、「演技をインチ(身長)で評価できるわけないだろう?」という言葉を残している。

こうしたディーンの外見的特徴とそれに伴う独特な存在感は、主役級俳優としての条件にのみならず、人間の姿形の美しさに対する基準にまで影響を与え[13]、その視野を広げたとも言われている。それまでの銀幕スターに見られた、高身長で清潔感のある髪型と服装に、背筋を伸ばし弱さを見せない正統な(いわゆるおとぎ話に登場する「白馬の王子様」のような)イメージから、決して身長が高くなく猫背気味で髪型は無頓着に見え服装もヨレ気味な、そして時折悲愴感を漂わせるアンニュイで反抗的な(アンチヒーロー像とも言える)姿が、ディーンの出現により、また違った"男性の格好良さ"として大衆に強く認識されるようになったのである。ジェームズ・ディーン&ピア・アンジェリ(1954年)

イタリアの女優ピア・アンジェリと交際していたが、アンジェリ家がローマ・カトリック信者ではないディーンを嫌い、ピアの母親から反対されたこともあって結局2人は短期間で別れている[14]。その後、交際したのは映画007シリーズの初代ボンドガールとして知られるウルスラ・アンドレスであるが、彼女は自らディーンから離れていった。彼自身、ピアとのような純粋な交際ではなかったようである。ポルシェ・356スピードスターを操りパームスプリングスを疾走するディーン

ディーンの自動車好きの傾向は、16歳のとき叔父から与えられた1946年製のオートバイWhizzerにはじまり、後にスポーツカーMG-TF(英語版)を所有したことで顕著に表れた[15]。それは休日になると地元のカーレースに出場するほど本格的なものとなり、レーシングドライバーのケン・マイルズパームスプリングスで優勝争いを繰り広げたこともあった。配給会社のワーナーはその危険性から『ジャイアンツ』の撮影に向けてディーンにレース活動を禁止したが、先述のように『ジャイアンツ』の撮影終了からわずか1週間後、彼はサーキットに向かう途中で事故を起こした。ディーンはポルシェを乗り継いでおり、事故を起こしたのは356からより高性能な550に乗り換えた直後であった[3]。なお生前に「レースは危なくないか?」と記者に問われた際には「車に乗っていて危険を感じるのはレース場ではなく、一般の車道だ」と語っていた。オートバイも複数所有していたが、中でもトライアンフ・TR5トロフィー(英語版)は、フィル・スターンが撮影した、くわえタバコにライダースジャケット姿のディーンの写真に登場するオートバイとして有名である。
出演作品

この節の加筆が望まれています。
事故現場である州道46号線と41号線の分岐点に立てられた看板
映画

『勝負に賭ける男』までの出演作品はすべて
エキストラのためノンクレジットである。

折れた銃剣 Fixed Bayonets!(1951年)

底抜け艦隊 Sailor Beware(1952年)


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