ジェームズ・アングルトン
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労働組合に対する工作では、AFL-CIO国際部長のジェイ・ラヴストーン(英語版)(以前アメリカ共産党で活動し党書記長も務めた)を通じて内外の情報網を駆使し反共右派勢力を支援、国際自由労働組合総連盟の結成に繋げた。

さらに、アングルトンはリンドン・B・ジョンソン大統領の命を受けてアメリカ国内における情報収集活動であるCHAOS作戦を立案し、ベトナム戦争への反戦運動市民運動へのソ連スパイの関与を調査した[5]国際郵便電報のチェックなど法律に違反する行為も行われており、現在では、それらの平和運動の中にはソ連の影響下にあったものもあるが、資金提供を受けていた例はなかったとされている。そもそも、CIAを設立した1947年国家安全保障法の明文規定で、CIAは防諜目的であっても国内スパイ活動は禁止されていたため、CHAOS作戦は違法行為であり、作戦の内部文書でも違法であることが明記されていた。

アングルトンの名声を高めたのは西側諸国の情報機関に存在するソ連の協力者を解明する仕事で、その任務は「もぐら狩り」(モールハント)と呼ばれていた。アングルトンは、親交があったフィルビーらイギリス情報機関の幹部が、ソ連の協力者であったことにショックを受け、西側諸国の情報機関にはソ連の協力者が存在すると仮定し対策を取るべきだとの持論に取り憑かれるようになった。

KGBからの亡命者であるアナトーリ・ゴリツィンの尋問によりアングルトンの懸念はさらに深まった。ゴリツィンは、イギリス労働党党首で首相を務めたハロルド・ウィルソンがソ連の協力者であると名指ししたり、ケネディ大統領暗殺事件はソ連が関与していると主張していたが、今日ではその供述の信頼性には問題があるとされている。ゴリツィンは亡命者としての存在価値を高めるために、KGBの能力を誇張する供述を繰り返したが、アングルトンはゴリツィンの供述を信じ切ってしまい、CIAには大量のソ連協力者が存在し彼らによってCIAがKGBに操作されていると確信するようになった[1]

アングルトンは1960年代から70年代にかけて、様々な外国の首脳がソ連のスパイであるとの主張を繰り返した。王立カナダ騎馬警察はアングルトンから、レスター・B・ピアソン首相とその後継者ピエール・トルドー首相はソ連のスパイだと連絡を受けた。アングルトンからの圧力を受け1964年に王立カナダ騎馬警察はピアソンの側近でカナダの駐ソ大使を務めたジョン・ワトキンスをスパイ容疑で任意拘束した。ワトキンスは王立カナダ騎馬警察とCIAの合同チームによってホテルで尋問されていた最中に倒れ死亡した。

アングルトンにスパイ容疑をかけられた首脳としては、スウェーデン首相のオロフ・パルメ西ドイツ首相のヴィリー・ブラントなどがいる。アングルトンの活動を皮肉交じりに批判したヘンリー・キッシンジャーも、1970年代前半にアメリカと中国との関係正常化を進めたのはソ連の影響下にあったからだと告発された。

1973年にCIA長官となったウィリアム・コルビーは、アングルトンの「妄想」は行き過ぎであると懸念視していた。コルビーはアングルトンからイスラエルとの連絡役を任務を取り上げた。1974年12月にジャーナリストのシーモア・ハーシュがコルビーとのインタビューにおいて、アングルトンが主導したCIAの国内作戦を暴露するつもりだと言うと、コルビーはアングルトンに対して辞職を求めた。ハーシュによる記事は同月にニューヨーク・タイムズの一面に掲載され大反響を呼んだ。1947年国家安全保障法[6] には国内における情報収集活動をしてはならないと明記されており、CIAの作戦は違法であった。アングルトンの名前はCIAの秘密作戦を調査するチャーチ委員会が議会で設置された後に一般に知られるようになった。アングルトンの辞職は1975年のクリスマス・イブに発表された。アングルトンの部下三人[7] も自発的な退職を強制された。CIA防諜部のスタッフは300人から80人に削減された[1]

アングルトンは辞職後にコルビーやハーシュを批判し、コルビーについてはKGBのスパイだと糾弾し、ハーシュには彼の本の出版によって妻が家を出て離婚したと主張した[8][注 1]。アングルトンには1975年にDistinguished Intelligence Medalが贈られた。
その他

「陰謀めいた、完全に正気を失った、異常な、不可解な」を意味する形容詞造語「アングルトニアン」(Angletonian)は彼の名前に由来している[1]

アングルトンの奇妙な生涯については大量の研究書や伝記で触れられている。フィクション作品でアングルトンをモデルとする物も多い。

2006年にロバート・デ・ニーロが監督した映画「グッド・シェパード」の主人公エドワード・ウィルソンのモデルとなっている[9]
注釈^ 『プロフェッショナル・スパイ―英国諜報部員の手記』、笠原佳雄訳、徳間書店、1969年

脚注^ a b c d e The James Angleton Phenomenon Archived 2014年8月11日, at WebCite, CIA, Mar 05, 2010
^Cicely Angleton (1922 - September 23, 2011)
^Seymour Hersh and the men who want him committed, salon.com, Feb 28, 2011
^Angleton’s Secret Police, New York Times, June 26, 2007
^Perspective on the Jewels From the C.I.A.’s Chief Historian, New York Times, June 27, 2007
^ 「CIA憲章」というのは、この法律によりCIAが設立された条項を指している。
^ レイ・ロッカ(Raymond C.Rocca)、スコット・ミラー(Newton Scott Miller),ビル・フッド(Willam J.Hood)
^ キム・フィルビーが書いたとされる自伝に、CIA職員アングルトンの名前があるため、彼の正体は知られていた。
^The Good Shepherd, Matt Damon, London Net, 20 December 2007

外部リンク

ジェームズ・アングルトン
- IMDb(英語)

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