ジェリー・リー・ルイス
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音楽評論家のスティーブン・トーマス・アールワインは「これまでのレコードの中でも『Live at the Star Club 』は桁外れで斬新でハードなロックンロールだ」と記した[23]

1960年代、マーキュリー・レコードの子会社であるスマッシュ・レコード在籍中の4年間、ロックでの再起に行き詰まり、カントリーのバラードを演奏するようになった。

1965年、カントリーに重きを置いたアルバム『Country Songs for City Folks 』をレコーディングした。1968年、シングル『Another Place, Another Time 』がトップ10にランクインし、これを機に、カントリー・チャートで第1位となった『To Make Love Sweeter For You 』を含み数々の曲がトップ10にランクインするようになった。同時期の元ロカビリーのコンウェイ・トゥイッティのように、カントリーで再度スターダムに上がった。この時期のルイスのカントリーのヒット曲には『What's Made Milwaukee Famous (Has Made a Loser Out of Me) 』、『She Still Comes Around (To Love What's Left of Me) 』、『She Even Woke Me Up to Say Goodbye 』、『Once More With Feeling 』、『There Must Be More to Love Than This 』、『Touching Home 』、『Would You Take Another Chance on Me 』、『Me and Bobby McGee 』、『Think About It, Darlin' 』、『Sometimes a Memory Ain't Enough 』、『Tell Tale Signs 』などがある。1970年、マーキュリー・レコードがスマッシュ・レコードを打ち切り、その後はマーキュリーからシングルやアルバムが発表されるようになった。ルイスの再起により、サン・レコードは1963年以降にレコーディングして未発表の『Invitation to Your Party 』、『One Minute Past Eternity 』、『I Can't Seem To Say Goodbye 』、『Waiting For A Train 』などを発表し、1969年から1970年のカントリー・チャートで上位に入った。ルイスの成功はその後約10年続き、1972年、ザ・ビッグ・ボッパーのクラシック・ロック『Chantilly Lace 』のカヴァー、『Drinkin' Wine Spo-dee-o dee 』、1977年、『Middle Age Crazy 』など、再度ロックにも挑戦し始めた。1979年、エレクトラ・レコードと契約し、1981年の『Thirty-Nine and Holding 』がカントリー・チャートでの最後のヒット曲となった。1983年、MCAレコードと契約したが短期間で離脱した。

1989年、ロック時代の若い頃を基に映画化した『Great Balls of Fire! 』が公開され、劇中で使われる曲を全て再録音することを決心したことなどでルイスは再度注目された。この映画はルイスの3番目の妻マイラ・ゲイル・ルイスによる書籍を基にしており、ルイス役にデニス・クエイド、マイラ役にウィノナ・ライダー、ジミー・スワガート役にアレック・ボールドウィンが配役された。この映画はルイスの初期の頃の経歴、マイラとの関係などが描かれ、1950年代のスキャンダルを中心にしている。翌年1990年、ヒット映画『ディック・トレイシー』のサウンドトラックに新曲『It Was the Whiskey Talkin' (Not Me) 』を共同制作した。この曲は劇中のラジオから流れている設定で聴くことができる。

いとこでテレビ伝道者のジミー・スワガートのスキャンダルで、親族はトラブルに巻き込まれた。他のいとこでカントリーのスターであったミッキー・ギリーと同様、スワガートはピアノ奏者である。いとこ同士の3人は、フェリデイのクラブのヘイニーズ・ビッグ・ハウスから流れる黒人のブルースなど、幼少期は同じ音楽を聴いて育った。ジェリー・リー・ルイスとスワガートは、長年複雑な関係が続いている。

ルイスの妹リンダ・ゲイル・ルイスはルイスとレコーディングを行ない、しばらく共にコンサート・ツアーに出ていたが、その後ヴァン・モリソンとより多くのレコーディングを行なった。

子供の頃から「The Killer 」という愛称で呼ばれ、力強い声とピアノを演奏する姿からより知られている。オービソンは彼をロック史上最高の荒削りな演奏者と評した[24]

1986年、ルイスはロックの殿堂の最初の1人として殿堂入りした。同年、オービソン、キャッシュ、パーキンスと共にメンフィスのサン・レコードのスタジオで『ミリオン・ダラー・カルテット』のセッションを思い起こさせるアルバム『Class of '55 』をレコーディングし、批評家やファンの注目を集めた。

1998年、チャック・ベリー、リトル・リチャードと共にヨーロッパでコンサート・ツアーを行なった。2005年2月12日、ナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・アンド・サイエンスによりグラミー賞の特別功労賞を授与された。2006年9月26日、多くのロックの著名人をゲストに招いたアルバム『Last Man Standing 』を発表した。好評を博し、インディ・チャートで2週連続第1位となるなどビルボードの4部門のチャートにランクインした。

2007年3月、ミック・ジャガーウィリー・ネルソンジミー・ペイジキース・リチャーズロッド・スチュワートなど多くのゲストを招いたコンサートの様子を収録したCDおよびDVD『Last Man Standing Live 』が発表され、CDはアメリカ国内のみで50万枚を売り上げ10枚目のゴールド・ディスク認定となった。このアルバムはこれまでルイスが発表したアルバムの中で最高の売り上げとなった。

2007年11月5日、ロックの殿堂およびオハイオ州クリーブランドケース・ウェスタン・リザーブ大学での6日間の会議やインタビューの映像を収録したDVDを発表。11月10日、クリス・クリストファーソン司会のトリビュート・コンサートが最高潮を迎えた。American Music Masters Award を受賞し、トリビュート・コンサートは『虹の彼方に』で幕を閉じた。

2008年2月10日、ジョン・フォガティとリトル・リチャードと共に第50回グラミー賞に出演し、『Good Golly Miss Molly 』と『火の玉ロック』をメドレーで演奏した。ルイスは現在ミシシッピ州ネスビットの農場に家族と共に住んでいる[25][26][27]

2008年6月4日、『A Capitol Fourth 』に出演し、フィナーレの最後で『ロール・オーバー・ベートーヴェン』、『Whole Lotta Shakin' Goin On 』、『火の玉ロック』をメドレーで演奏した。2008年10月、ヨーロッパのコンサート・ツアーで、1958年のスキャンダルから約50年ぶりにイギリスで公演した。


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