2002-2003シーズン、四大陸選手権のショートプログラムで4回転-3回転のコンビネーションジャンプに成功し、4位となった。2003-2004シーズン、NHK杯でGPシリーズ初優勝を飾る。GPファイナルへの出場権を得たが棄権。世界選手権への出場は逃したが、四大陸選手権 で2度目の優勝を果たした。
2004-2005シーズンからラファエル・アルトゥニアンに師事した。カナダ選手権で初優勝し、GPファイナルと世界選手権でも2位となる活躍を見せた。2005-2006シーズン、GPシリーズで表彰台に上がり続け、カナダ選手権も連覇。トリノオリンピックでは、SPでジャンプの転倒があり出遅れるが、フリースケーティング(フリー)では4回転トウループの転倒がありながら演技構成点で高い評価を受けるなどして追い上げ、銅メダルを獲得した。続いて地元カナダのカルガリーで行われた世界選手権では、ショートプログラムで3回転ルッツの失敗もあって出遅れ、3回転ジャンプのみで構成したフリースケーティングでは大きなミスはなかったものの追い上げはならず、総合で6位に終わった。
2006-2007シーズンは背中の疲労骨折に悩まされ、GPシリーズを欠場[22]。カナダ選手権で3連覇を達成。四大陸選手権 では、SPで首位に立ちながらフリーでジャンプの失敗が相次ぎ2位となった。世界選手権でも、SPはパーソナルベストの演技で2位につけたものの、フリーで精彩を欠いて6位に終わった。
2007-2008シーズン、GPシリーズでは本来の演技ができず、カナダ選手権でもパトリック・チャンに敗れた。しかし四大陸選手権ではパーソナルベストを更新して2位となった。世界選手権では4回転ジャンプを外す戦略で臨み、完成度の高い演技で初優勝。SPの『アディオス・ノニーノ』は、2008年6月のISUのコンポーネンツセミナーにおいて「ストーリー性はなくてもすべてが統一されて、絶対的に素晴らしかった」と評された[23]。
2008年9月にアマチュア引退を表明。出場を予定していたスケートカナダでは、場内解説のコメンテーターを務めた[24]。現在はプロスケーターとして活躍する傍ら、振付師としても活動している。2012年、第1回メダルウィナーズオープンの男子シングルで優勝。一方、同じ時期に「社会を共有できるチームメートが欲しい」と氷上の団体戦であるアイスホッケーに挑戦。「できるなら60代まで続けたい」と意気軒高だが「自分の知識不足を耐え忍ぶチームメイトらに勇気づけられる」腕前である(上述外部リンク参照)。
主な戦績2007年スケートカナダにてスロージャンプを行うバトルとアメリカのエヴァン・ライサチェク。2008年四大陸フィギュアスケート選手権のエキシビションにて
大会/年96-9797-9898-9999-0000-0101-0202-0303-0404-0505-0606-0707-08
冬季オリンピック3
世界選手権8152661
四大陸選手権14122
カナダ選手権7 N2 J10693231112
GPファイナル棄権22
GPスケートカナダ72323
GPロシア杯4
GPエリック杯1
GP中国杯1
GPNHK杯251