「アー・ユー・ゴナ・ビー・マイ・ガール」と「ロールオーヴァー・D.J.」は、それぞれ2003年「Triple J Hottest 100」の1位と19位になった。「アー・ユー・ゴナ・ビー・マイ・ガール」はゲームや映画のサウンドトラック、ボーダフォンやiPodの世界的な広告で使用された。この曲は発表した直後からイギー・ポップが1977年に発表した「ラスト・フォー・ライフ」に酷似していると指摘されており、ローリング・ストーン誌の「クレイジーなほど似ている曲トップ20」で1位に選ばれた事がある[10]。「ロールオーヴァー・D.J.」が、グランツーリスモ4に収録された。「ティモシー」はキャメロンの生まれる前に亡くなった兄に捧げられた曲である[11]。
2004年初頭、ザ・ヴァインズ、リヴィング・エンドと共に「ジ・オージー・インヴェイジョン・ツアー」をアメリカで行った。同年、『ゲット・ボーン』未収録曲「ホールド・オン」がスパイダーマン2のサウンドトラックに収録された。
家族の病気を理由にグラストンベリー・フェスティバル出演をキャンセルする[12]。
同年、バンドはオーストラリアレコード産業協会の7部門にノミネートされ、そのうち6部門で栄冠に輝いた。ニックは他のオーストラリアのロックバンド (スパイダーベイト、リヴィング・エンドなど) のメンバーで構成されているスーパーグループであるライツ (The Wrights) でも活躍した。 2006年9月、セカンド・アルバムからの先行シングル「プット・ユア・マネー・ホエア・ユア・マウス・イズ」をリリース。2006年9月30日、セカンド・アルバム『シャイン・オン』をリリース。オーストラリアチャートで3位となるが、『ゲット・ボーン』と同等の成功を得ることはできなかった。アルバムへの評価は、賛否両論となった。日本版CMに世界エア・ギター選手権2006で『ゲット・ボーン』収録曲の「アー・ユー・ゴナ・ビー・マイ・ガール」を披露して優勝したお笑いコンビのダイノジが出演した。また、国内盤には甲本ヒロトのコメント・シールが貼られている[13]。 コペンハーゲンでMTVヨーロッパ・アワーズに出演。ニックの喉頭炎によるワールドツアー中止からの最初の出演であった。アルバムからのセカンド・シングル「ブリング・イット・オン・バック」(イギリス)と「リップ・イット・アップ」(オーストラリア)を2006年11月にリリース。また、『シャイン・オンEP』を2006年12月にリリースした。 2007年3月、アルバムからのサード・シングル「シャイン・オン」をリリース。この曲は、2004年に癌で亡くなったニックとクリスの父親に捧げられた曲である[14]。 映画『スパイダーマン3』サウンドトラックのために、新曲「フォーリング・スター」をリリースした。 バンドはオーストラリアに戻りAFLグランド・ファイナルで演奏をし、ワールドツアーの残りを終えた。ウェブサイトでサード・アルバムの制作を2008年リリースに向けて開始すると発表。しかしながら、2007年10月にバンドは無期限の活動休止を発表した。バンドは『シャイン・オン』のツアー後で休止期間が必要と述べた[15]。同年10月24日、クリスとマークは The Vice Lords の名で日本のデュオSuperflyをプロデュースした[16]。 2008年、イギー・ポップとジョニー・オキーフ 2009年4月、楽曲「K.I.A.」が公式サイトで公開された。アルバムからの1stシングルとして「シーズ・ア・ジーニアス」がリリースされる。フジロックフェスティバル2009への出演決定。サード・アルバム『シャカ・ロック』は2009年8月にリリースされた。アルバム名の由来は、ズールー族の著名な将軍[19]。 2012年3月26日、公式ホームページ上にてJETは解散を発表。「何年にも渡って素晴らしい曲を書き、レコーディングし、ツアーを重ねてきた。ここで我々はバンドとしての解散を発表したいと思う。世界中のパブ、劇場やスタジアム、フェス、そして世界中のファン達に感謝したい。俺たちのこの素晴らしい物語は、皆がいなければ起こらなかったことだ。ありがとう、そして、おやすみ」と表明文を発表している。 またベースのマーク・ウィルソンとドラムのクリス・セスターの2人は2011年6月にDAMNDOGSを結成し活動している。これまでのJETらしいロックンロール・サウンドにエレクトロ要素をプラスしたサウンドが特徴である。
アルバム『シャイン・オン』
アルバム『シャカ・ロック』
一度目の解散、その後の活動