流れに乗ったリーは1992年に映画製作会社「正東制作有限公司」を設立し、自作のプロデュース業も始めて、南派少林拳の達人とされる伝説の格闘家「方世玉」のお茶目な若き日をユーモラスに描いた『レジェンド・オブ・フラッシュ・ファイター 格闘飛龍 方世玉』(1993年)や[1][14][3]、ブルース・リーの1972年のヒット作『ドラゴン怒りの鉄拳』をリメイクした『フィスト・オブ・レジェンド 怒りの鉄拳』(1994年)などを製作兼任で演じ、日本人の恋人役の中山忍や空手家の倉田保昭とも共演した[1][15][9]。
さらには、ケビン・コスナー主演の『ボディーガード』(1992年)と似たあらすじで殺人事件を目撃してしまった女性を守るボディーガードの青年を演じたラブ・サスペンス風の現代物『ターゲット・ブルー(中国語版)』(1994年)に挑戦し[9]、一家を皆殺しにされ生き残った赤ん坊の息子に玩具か刀を選ばせ乳母車で放浪の復讐旅に出るという、日本の『子連れ狼』を真似た冒頭シーンやリーの格闘シーン以外はコメディ調の『新・少林寺伝説(中国語版)』(1994年)では少林寺の英雄洪熙官(中国語版)を演じた[9]。
その『新・少林寺伝説』で共演した子役シー・ミャオ(中国語版)を再び息子役にしてガンアクションを取り入れた父子物の『D&D 完全黙秘(中国語版)』(1995年)では潜入秘密公安捜査官を演じ[1][3]、ブルース・ウィリス主演の『ダイ・ハード』(1988年)をパロディ化したような『ハイリスク(中国語版)』(1995年)ではジャッキー・チュン(ジャッキー・チェンを模したスター「フランキー」役)を相手にしたコメディ演技にも挑戦した[3][9]。翌年には、普段は図書館勤務の堅物青年で実は人体改造手術を受けているスーパー・ヒーロー青年の活躍を描いたSF風の『ブラック・マスク(中国語版)』(1996年)や[16][17]、香港版の「インディアナ・ジョーンズ」のような考古学者役を演じた『冒険王』(1996年)も発表するなど様々な作風を試みながら、世界的な視野を見据えた意欲的な活動をみせた[1][3][18][9]。 そうした活動がアメリカのリチャード・ドナー監督の目にとまって出演オファーが舞い込み、メル・ギブソン主演の人気シリーズ4作目『リーサル・ウェポン4』(1998年)でハリウッド映画デビューを果たし、同時にグローバルネームを英語名のジェット・リーと改めた[1][19][3]。初の悪役に挑戦した『リーサル・ウェポン4』で無敵の強さを持つ中国マフィアの殺し屋を好演し、主役の2人を食うほどの圧倒的な存在感を発揮したリーの元には[20][19][3]、それ以後様々な監督から出演依頼が殺到するようになった[1][2][3][21]。この頃、私生活では1999年に香港の女優ニナ・リーと再婚してカリフォルニア州に居を構えた[1][3]。 人気R&B歌手のアリーヤと共演したハリウッド初の主演作『ロミオ・マスト・ダイ』(2000年)も大成功し[1][22][3]、125ものパラレルワールドに存在する善と悪の何役もあるSFアクションの話題作『ザ・ワン』(2001年)でも主役を演じダイナミックなカンフーを見せた[1][23][24]。フランスのリュック・ベッソン監督の『キス・オブ・ザ・ドラゴン』(2001年)では、リー自らが原案・企画をし、異国のパリで濡れ衣を着せられた中国麻薬捜査官の孤軍奮闘のアクションを見事に演じ[1][25][3]、ヨーロッパの格闘技チャンピオンのシリル・ラファエリを迎えての本格的な格闘シーンも見せ場となった[26]。
ハリウッド映画界に進出