シーナ&ザ・ロケッツ
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メジャー・デビュー

サンハウスのギタリストとして活動していた鮎川誠が、妻であるシーナと共に福岡から上京し結成。1978年8月新宿ロフトにて、鮎川誠&ミラクルメン名義で初ライブを敢行[7]。同年の10月に、鮎川誠&シーナロケット名義でエルボンレコードから『涙のハイウェイ』でメジャー・デビューを果たす[3]

1979年アルファレコードへ移籍。イエロー・マジック・オーケストラ(以下YMO)のメンバーの協力を得て、アルバム『真空パック』を発表。シングル「ユー・メイ・ドリーム」が、JAL『マイ・ハート・キャンペーン』のCMに使用され[8]、ブレイクを果たす。

YMOが1979年にリリースされたアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』では、鮎川が「デイ・トリッパー」と「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」の2曲にギターで参加。YMOワールド・ツアー後の「凱旋公演」(1979年12月19日・中野サンプラザ)では、シーナ&ザ・ロケッツがオープニング・アクトを務める。

1980年9月、細野晴臣高橋幸宏プロデュースを手がけ、YMOがゲスト参加したアルバム『チャンネル・グー』をリリース。同年に開催されたYMOの初国内ツアーでは、福岡、神戸、京都、札幌、東京のゲスト・ギタリストとして鮎川が参加。

1981年日本武道館にて開催された小学館主催の「写楽祭」ではYMOとシーナ&ザ・ロケッツによる共演も実現し、同年には、アルバム『SHEENA & THE ROKKETS』がアメリカ限定で、A&Mレコードからリリースされた[3]
レコード会社の移籍

1984年に、ビクター音楽産業のレーベルであるInvitationへ移籍。シングル「スイート・インスピレーション」とアルバム『NEW HIPPIES』がリリースされた。

1987年、ベースの浅田孟が脱退。

1990年放送の学生援護会(現・パーソルキャリア)『サリダ』のテレビコマーシャルにて「じゆう」が使用された。

1992年に、ビクター音楽産業内に発足されたレーベルであるSPEEDSTAR RECORDSに移籍。シングル「(ハ!ハ!ハ!) ハードドラッグ」とアルバム『(ha! ha! ha!) Hard Drug』がリリースされた。

1993年に、コンピレーション・アルバム『LEMON SEX, LEMON TEA, LEMON ROCK』がフランス限定で、スカイドッグ・レコードからリリースされた。

1996年2月、インターネット黎明期に日本のバンドとして初となるホームページを鮎川が立ち上げ、インターネットとの奮闘を書き下ろした「DOS/Vブルース」を幻冬舎から発売。1998年AMDアワードを受賞し、シーナが鮎川陽子と出席して賞を受ける。

1998年、野外フェス『FUJI ROCK FESTIVAL'98 in Tokyo』に出演。沖縄・北海道ツアー開催。5月、鮎川誠生誕記念オールナイトパーティ開催。

1999年3月、新宿ロフト最後の日にワンマン出演。5月、ウィルコ・ジョンソン/シーナ&ロケッツJAPANツアーを開催。
メンバーの復帰

2000年、オリジナル・ドラマーの川嶋一秀を迎え、15枚目のオリジナルアルバム『ROCK THE ROCK』を発売。FUJI ROCK FESTIVAL'00に出演。

2001年、初期の名曲から最近の楽曲までを網羅したライブ・アルバム『爆音ミックス』をリリース。鮎川が自ら運営するオフィシャルサイトにてファン投票により選曲された。4月、NHK連続テレビ小説ちゅらさん』にジョージ 我那覇役で鮎川が出演。同年に、『北九州博覧祭2001』と、郡山ワンステップフェスティバル復活イベント『ワンステップへの旅 in うつくしま未来博』にそれぞれ出演。

2002年、鮎川が『Japan Blues Carnival 2002』に出演。SHIBUYA-AXにて開催された日韓交流イベントに出演。シーナ&ロケッツとラモーンズディー・ディー・ラモーンジョイントライブ開催予定が急遽ディー・ディー・ラモーン死去により、追悼ライブとして行われる。

2003年SHIBUYA-FM7周年を記念するライブ 『SHIBUYA-CALLING』に出演。7月にBOXセット『Dream BOX』、ベスト・アルバム『The Greatest Sheena & The Rokkets』を同時リリース。また、『FUJI ROCK FESTIVAL'03』をはじめ、『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2003 in EZO』、『ミュージックシティ天神』に出演。11月に東京SHIBUYA-AXにてシーナ&ロケッツ25周年ライブを開催。12月には福岡CBにて『HAPPY 25th ANNIVERSARY』を2Daysで開催。
デビュー25周年

2004年、シーナ&ロケッツ25周年を記念してリミックス・アルバム『ELECTROKKETS』と、映像作品『LOVE LIVE』をそれぞれリリースされた。また、シーナが小学館の『PRECIOUS』、鮎川が大塚製薬の『ポカリスエット』のCMにそれぞれ出演。シーナ&ロケッツでは霧島酒造の『黒霧島』のCMに出演した。北九州若松の高塔山にある野外音楽堂を使用した初のロック・フェスティバル「高塔山ロックフェス」を発案(以降シーナ&ロケッツとして14年出演)。

2005年8月、鮎川が監修する『200 CD Rock'n'Roll』を学研から発売。「俺たちが愛したパンク/ロック/ブルース」の監修・執筆は鮎川。他に山名昇・本根誠・松本康・中山義雄・小川真一&キング・ジョー。8月、鮎川とシーナが、リチャード・ヘルの映画『BLANK GENERATION』のトークショーに出演。存続の危機に立たされているCBGBを救済するために署名を呼びかける。10月、ボロフェスタ'05@京大西部講堂イベントに参加。

2006年3月、レコード・コレクターズ誌3月号に28年分のレコードとともにシーナ&ロケッツ特集が組まれる。4月RKBの「味わい・ぶらり旅?河童伝説を訊ねる、紀行」 に鮎川とシーナで出演。5月布谷文夫と北海道ツアーを開催する。アルファレコードから発表されたアルバムが紙ジャケによる限定復刻盤でリリースされた。7月第3回『T-JAM a.k.a. 高塔山フリー・ロック・フェスティバル2006』に出演。

2007年2月、鮎川がデザインした、ローリング・ストーンズ公認のTシャツがロサンゼルスで公式グッズとして発売。8月熊本市現代美術館にてトーク&ライブ開催。11月福岡で一夜限りのサンハウス・ライブを開催。ムツゴロウ動物王国にて初のシーナ&ロケッツのライブを行う。ソニー・ミュージックダイレクトからベスト・アルバム『GOLDEN HITS THE ALFA YEARS』がリリースされた。
デビュー30周年

2008年、シーナ&ロケッツ結成30周年を迎え、アルバム『JAPANIK』発売。5月、恵比寿ガーデンホールにて新作『JAPANIK』発売と結成30周年を祝う『S&R HAPPY 30th ANNIVERSARY SPECIAL』を開催。内田裕也細野晴臣高橋幸宏柴山俊之、永井隆、花田裕之チバユウスケ大貫憲章、DJ.IHARAらがゲストに駆けつけた。6月、日テレ開局55周年のCM『日テレGO!GO!』に、日本人アーティスト第一弾として出演。「ジョニー・B.グッド」を鮎川がカバー。7月、映画『ジャージの二人』堺雅人と鮎川のダブル主演。『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2008 in EZO』に出演。北海道から沖縄まで36ヵ所にてツアー開催。ブルーノート東京にて『MAKOTO AYUKAWA "KOOL SOLO" plays Rock 'n' Roll Hall Of Fame #1』、ビルボードライブ福岡にて2Daysを開催。


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