シン・リジィ (Thin Lizzy) は、アイルランド出身のロック・バンド。
アイリッシュ音楽を取り入れた音楽性、ツイン・リードスタイルのハード・ロックで人気を博し、「アイルランドの英雄」と形容された同国の国民的グループとして知られる。英国圏では、創始者フィル・ライノット没後30年以上が経過した現在でも、レジェンドとして大きな支持を得ている[2]。
ヒストリー
結成?デッカ・レコード時代(1969年 - 1973年)創始者フィル・ライノット(Vo/B) 1972年バンド ロゴ創設メンバー エリック・ベル(G) 1972年
1969年、フィル・ライノット(ベース&ボーカル、作詞・作曲 元スキッド・ロウ)を中心に、フィルの学生時代からのバンド仲間であるドラムスのブライアン・ダウニー、元ゼムのギタリスト、エリック・ベルとともにダブリンで結成(当初キーボーディストもいたがまもなく脱退)[3]。ただし、バンドの初代マネージャーであるテリー・オニールは、シン・リジィが正式に結成したのは1970年であったとしている[4]。当初は「Orphanage(孤児院)」というグループ名で、パブなどで演奏を開始する。ある日、ジョン・メイオール・ブルース・ブレイカーズのセカンド・アルバム『ブルースブレイカーズ・ジョン・メイオール・ウィズ・エリック・クラプトン』のジャケットで、エリック・クラプトンが読んでいる雑誌『Beano』に興味を持ち(ジャケット写真)、買って読んでみると、そこに掲載されていた漫画の中に「Tin-Lizzie(ブリキのエリザベス)」という名のロボットが登場していたのを見つけ、ライノットたちはその名を拝借し、アイルランド人が発音しやすいように綴りを変え、バンド名を「シン・リジィ (Thin Lizzy)」とした。
1970年7月31日、アイルランド・パーロフォン・レーベルからシングル「ザ・ファーマー」(The Farmer) でデビュー。たまたまあるアイルランド人シンガーのレコーディング・セッションに呼ばれ、そこでの演奏を気に入られたことからUKデッカ・レコードとのレコーディング契約を獲得する。
1971年4月、ファースト・アルバム『シン・リジィ』(Thin Lizzy) をリリースする。初期はアイリッシュ・フォークとロックの融合を軸にしたサイケデリック・サウンドを展開、同年ロンドンでの初ライブを行う。8月、印象的な詞の作品「ダブリン」(Dublin) を収録した4曲入りEP『ニュー・ディ』(New Day) を発表。
1972年3月、『ブルー・オーファン』(SHADES OF A BLUE ORPHANAGE) 発表。フィル・ライノットの書く美しい詞が充実した佳作だが、セールスにはつながらなかった。バンドは次第にステージ・パフォーマンスを含め、ロック・バンドへと様変わりし、ライノットの詞もダンディズムを押し出したものへと変貌していく。同年トラディショナルなアイリッシュ・フォーク・ミュージックをロック風にアレンジした「ウィスキー・イン・ザ・ジャー」(Whiskey In The Jar) がシングル・カットされ、アイルランドで1位を獲得、英国国内でもスマッシュヒットとなる。善くも悪くもこのヒットによりショウ・ビジネスの中で生き残ることを選択させられる。BBCテレビの長寿音楽番組Top Of The Popsにも初登場。
1973年9月、エリック・ベルの印象的なストラトキャスターのカッティングで始まる「ザ・ロッカー」(The Rocker) を収録した『西洋無頼(ごろつき)』(Vagabonds of the Western World) をリリース。しかし、精神的・身体的な理由からベルがこの年いっぱいでバンドを離れる。後にベルはジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのノエル・レディングのバンドに参加する[5]。
ツイン・リード・ギター体制の確立(1974年 - 1975年)ドイツTV収録にて (1974年)
1974年1月、ベルの代役に同じくアイルランド人(北アイルランド)でスキッド・ロウ時代からの盟友であるギタリスト、ゲイリー・ムーアに加入を要請。