シン・ゴジラ
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都心に壊滅的状態までの被害と高濃度の放射能汚染をもたらしたうえ、都民に約300万人の死傷者を出してしまう。さらに、首相官邸から立川広域防災基地へ避難するところであった総理大臣を含めて11人が乗ったヘリコプターも熱線によって撃墜され、総理を含めた閣僚11名が死亡する。一方、ゴジラは東京駅構内線路上で突然活動を停止する。

高濃度の放射能汚染と壊滅的な被害を受けた都心から官邸機能が立川広域防災基地内の災害対策本部予備施設に移管し、内閣総理大臣臨時代理も立てられ、矢口は巨大不明生物統合対策本部の副本部長および特命担当大臣に任命される。米軍の爆撃で得られたゴジラの組織片の分析より、今後ゴジラは無性生殖により個体増殖してネズミ算式に群体化する可能性や、個体進化により小型化や有翼化して大陸間を超えて拡散する可能性などが示唆されたほか、2週間後には活動を再開することが予測される。活動を再開すれば米本土への上陸も有り得るとのデータを受け取った米国は、国連での外交工作を行い、国連安保理はゴジラの処理の管轄を米国がするとともに、ゴジラの処分に熱核兵器の使用を決議多国籍軍による核攻撃プランの策定が開始される。同時に、人道的配慮によって住民360万人の疎開が行われる。

巨災対は熱核攻撃ではなく矢口プランによるゴジラ停止の完遂を切望するが、ゴジラの細胞膜の分子構造には元素変換能力があり、熱核エネルギー変換生体器官を内蔵した混合栄養生物であると推測され、血液凝固剤を無力化される懸念が生じてしまう。その直後、それまで謎だった牧の解析表の解読の糸口が見つかり、解読・解析結果からゴジラの細胞膜の活動を抑制する極限環境微生物の分子構造が得られる。それを抑制剤として血液凝固促進剤と併せて経口投与することで、性質を維持して活動凍結することが可能であった。国連軍の熱核攻撃開始が間近に迫る中、矢口プランは「ヤシオリ作戦」と改名され、日米共同作戦として開始される。まず、無人運転の列車を使った爆弾(N700系新幹線を使用した無人新幹線爆弾、E231系およびE233系を使用した無人在来線爆弾)でゴジラを覚醒させ、次にエネルギー消耗のみを狙った米軍の無人攻撃機群による攻撃が、ゴジラが熱線を出せなくなるまで続く。熱線が途切れたところを付近の高層ビルをゴジラに向けて爆破・倒壊させ、ゴジラを転倒させる。そこへ建設機械部隊とコンクリートポンプ車隊が接近し、ポンプ車のアームより累計数百キロリットルの血液凝固促進剤をゴジラの口内に経口投与する。これらの繰り返しにより、ようやくゴジラの凍結に成功する。

その後、都心を汚染したゴジラの新元素の放射性物質は半減期が20日と非常に短く、約2 - 3年で人体への影響はなくなると判明したことから復興の希望も見えかけたが、熱核攻撃カウントダウンは「一時停止」のままであり、ゴジラが活動を再開した場合はその58分46秒後に熱核攻撃が行われることとなる。矢口は凍結したゴジラを見つめながら改めてこれからの事態収束の決意をする。一方、東京駅脇に凍りついたまま立ちつくすゴジラの尻尾の先端部には、背びれを持つ人型の小柄な生物数体が生じかけたまま静止していた。

呑川の遡上場面の地点(産業道路呑川新橋、.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度33分39.45秒 東経139度44分16.66秒 / 北緯35.5609583度 東経139.7379611度 / 35.5609583; 139.7379611)

パニックシーンが撮影されたJR蒲田駅東口、[6]北緯35度33分44.71秒 東経139度43分02.52秒 / 北緯35.5624194度 東経139.7173667度 / 35.5624194; 139.7173667

北品川襲来場面の地点(旧品川湊、北緯35度37分16.96秒 東経139度44分31.47秒 / 北緯35.6213778度 東経139.7420750度 / 35.6213778; 139.7420750)

住民が避難した品川神社として撮影された市谷亀岡八幡宮[7]、北緯35度41分31.98秒 東経139度44分02.89秒 / 北緯35.6922167度 東経139.7341361度 / 35.6922167; 139.7341361

巨災対の当初の設置場所として撮影された東京臨海広域防災公園内オペレーションルーム[8]、北緯35度38分07.71秒 東経139度47分39.06秒 / 北緯35.6354750度 東経139.7941833度 / 35.6354750; 139.7941833

2度目の上陸場面の地点(鎌倉由比ヶ浜海岸、北緯35度18分36.04秒 東経139度32分39.79秒 / 北緯35.3100111度 東経139.5443861度 / 35.3100111; 139.5443861)

鎌倉市内の北上場面の地点(横須賀線扇ガ谷ガード、北緯35度19分38.03秒 東経139度32分54.85秒 / 北緯35.3272306度 東経139.5485694度 / 35.3272306; 139.5485694)

タバ作戦の戦車隊砲撃場面の地点(多摩川丸子橋緑地、北緯35度35分03.79秒 東経139度40分15.37秒 / 北緯35.5843861度 東経139.6709361度 / 35.5843861; 139.6709361)

タバ作戦の指揮所が設置された多摩川浅間神社のテラス、北緯35度35分13.79秒 東経139度40分07.48秒 / 北緯35.5871639度 東経139.6687444度 / 35.5871639; 139.6687444

都心襲来後に巨災対が移転した立川災害対策本部予備施設[9]、北緯35度42分44.06秒 東経139度24分24.10秒 / 北緯35.7122389度 東経139.4066944度 / 35.7122389; 139.4066944


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