シンドラーのリスト
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『シカゴ・サンタイムズ』の評論家ロジャー・イーバートは本作を絶賛しており、1993年の年間ベスト1位に選んでおり、「生存者にとってこれほど名誉であり記憶に残るプロジェクトは、ジャン=リュック・ゴダールや他の監督でもスピルバーグ以上には成功させなかっただろう」と語っている[9]。『The New York Review of Books』のジョン・グロスは「傑出した成功作だ」と評価している。ビリー・ワイルダー[10]ロマン・ポランスキーなどの映画監督からも高い支持を受けている。

また、スタンリー・キューブリックは本作が成功したことで、自身が企画していたホロコーストの映画を諦めたという。

アカデミー賞を受賞するなどの高い評価を受けている一方、『SHOAH ショア』を監督したクロード・ランズマンは、「出来事を伝説化するものである」として舌鋒鋭く批判している。
備考

この記事に雑多な内容を羅列した節があります。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2012年1月)

この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2012年1月)


印象的な赤い服の少女を演じたオリヴィア・ダブロウスカは、本作への出演の経験から2022年ロシアのウクライナ侵攻でウクライナ側のボランティアに参加した。一方、赤い服の少女を模した衣装を着て2013年-2014年のソチ五輪で「シンドラーのリスト」の楽曲を使ったフィギュアスケート選手のユリア・リプニツカヤは、夫のウラジスラフ・タラセンコがウクライナ侵攻に徴兵されロシア側として侵攻に参加した。結果、赤い服の少女にゆかりのある二人がロシアのウクライナ侵攻にそれぞれ関わることとなった。

冒頭シーンでウエイター役で登場するプロデューサーの一人ブランコ・ラスティグは自身もアウシュヴィッツに収容されたユダヤ人の生き残りである。過去『ソフィーの選択』、『SHOAH ショア』などホロコーストを扱った映画を制作した。

ユダヤ人たちが貨車に乗って移動する一連の場面には(スピルバーグが崇拝している)デヴィッド・リーン監督の『ドクトル・ジバゴ』に酷似したカットが幾つも含まれている。

ラストシーンでは、作中に登場し制作当時存命だった実在の人物が、自身を演じた俳優と共に登場する。イザック・シュターンは1969年に没しているが、彼を演じたベン・キングズレーはシュターン夫人をエスコートして登場する。ただし、作中に夫人は登場しない。

2009年4月6日 ユダヤ人801人の氏名を記したリストの実物のコピーが、豪シドニー(Sydney)の図書館から偶然発見されたことが明らかにされた[11]

日本で「金曜ロードショー」として放送された際には3時間スペシャルとして放送されていた。

関連書籍
原作


トマス・キニーリー 著/幾野宏 訳『シンドラーズ・リスト 1200人のユダヤ人を救ったドイツ人』(
新潮文庫、1989年) ISBN 4-10-227701-3

楽譜


『映画「シンドラーのリスト」』(ドレミ楽譜出版社、1994年) ISBN 4-8108-1452-1

関連項目

タルムード

注釈^ ビリー・ワイルダーは『シンドラーのリスト』を最後の映画にすることを希望していたが、そのことを聞いたスピルバーグはあわてて映画化権をとった、とワイルダーは語っている[5]

脚注^ 日本改題『シンドラーズ・リスト ? 1200人のユダヤ人を救ったドイツ人』幾野宏訳、新潮出版。


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