シンセサイザー
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^ AMDEK (1983年ローランド ディー. ジー.に社名変更)はローランドの関連会社で、設立当初には 電子楽器組立キット や PC用アナログシンセ・インタフェース(CV/GATE規格) CMU-800、CMU-810 等を扱っていた。現在はコンピュータ周辺機器(大型カラープリンタ、カッティングマシン、3Dスキャナ/3Dプロッタ等)を扱っている。
^ WAVE KITとは、1975,6年頃秋葉原にあったシンセサイザー自作キット専門店の名前だと言われている。製品名に関し、基板に記された型番と名称を参照した例はほとんど見当たらず、店頭や通販広告等では “Micro Wave Synthesizer” の呼称が一般的だったので、ここではそれを採用した。後にドイツで登場したPPG WAVEや Waldorf MicroWaveを連想させる呼称だが、波形テーブルは搭載していない。ドイツの SYNRISEデータベース には「ネット上の情報は日本語サイトしかない」と書かれており、おそらく日本国内でのみ流通した製品だと推定される。当時は他にも下記の自作キットが日本国内で販売されていた。

伸光電子のアドニス・シリーズ、

ハヤマ技研 SK307 ⇒[3]

エグモント 100 [4] ⇒[5]

^ Surf Synthesizer (環境音発生器)とは、海の波のようにゆったりとした周期的効果音を出す装置で、当時の怪し気な宣伝文句によれば「脳波を波の周期に引き込み、α波へと誘導して深い瞑想状態(リラックス)を得る」、という触れ込みのエレクトロニック・ガジェットだった。1970年代初頭に有名なエレクトロニクス・ホビー雑誌の記事(*)で好事家の知るところとなり、以降、各種ホビー雑誌や自作キット(WAVE KIT)、電子ブロック回路集等でバリエーションが繰り返し紹介された。* Popular Electronics誌 1972年2月号, John S. Simntonの記事  アポロが月と地球を往復し、ヒッピー文化の精神革命と、電卓由来のマイコン革命が同時進行していた70年代、この他にもいくつか似たようなトンガリ・ハイテク・ガジェットが発売された。この種の製品の子孫は、今でも雑多な電子ガジェットを扱う東急ハンズや王様のアイデア、あるいはマニアックな珍品を揃えたハイテクヴィンテージショップで、運がよければ見つける事ができるかもしれない。

Triadex Muse (1971年)
つまみ操作で14兆パターンの音楽フレーズを生成する自動演奏装置。人工知能の父マービン・ミンスキー教授とその弟子エドワード・フレドキンが開発、一般販売された。完全デジタル構成で音色とフレーズの自由度を備えたこの製品は、デジタルシンセサイザーとしてもデジタル・シーケンサとしても世界最初の製品と言われており ⇒[6][7]、歴史年表を作る上で非常に扱いに困る逸品である。

IoniCamera (1970年代)
広告によると、音に反応して画像パターンが変化しつづける一種のヴィデオ・シンセサイザー。EMSの米国代理店Ionic Industriesの製品。同社はEMS VCS3互換のシンセ ⇒ionic performer も発売していた。

EMS REHBERG VIDEOSIZER-L1 (1979年前後)
EMSのドイツの関連会社 ⇒EMS REHBERG のミュージック・ビデオ・シンセサイザー。
1979年の ⇒第1回ars electronicaのポスター は同製品の生成画像らしい。
^ 日本ハモンドは、1970年にハモンド阪田商会(海外事業部門)の提携により設立された合弁会社で、ヨーロッパの多くの地域と極東地域へのアメリカ製ハモンド製品供給と、日本製ハモンドOEM製品の製造/販売/輸出を行った ⇒[8][9]
 また1972年の梯退社後、1970年代のある時期エース電子工業の再編に伴い製造販売部門を日本ハモンドが引き継いだと考えられており ⇒[10]、以降日本ハモンドはACE TONEブランドの製造・販売も行うようになった。 ⇒[11][12]
 1970年代末にはコンパクトエフェクター Big Jam シリーズを発売した。この製品は同時期に発売されたローランドのBOSSシリーズの対抗製品と考えられ、アメリカのMultivox(Sorkin Music)にもOEM供給されたが ⇒[13][14]、結局2?3年で消えたという。 ⇒[15]
 その後1970年代末、ACE TONEブランドの後に新ブランドJugg Box(海外ではSAKATA)が登場し、真空管式ギター・アンプstuffシリーズ [16] や、日本最初期のPCMドラムマシンDPM-48 といった特徴ある製品を発売した。 ⇒[17][18]
 以上のように、日本ハモンドの主力はあくまでオルガン製品であり、ギターアンプ/エフェクタは70年代末期の追加、シンセ/ドラムマシンの発売はどちらかと言うと例外的だった事がわかる。なお1980年代にはイタリアCRUMAR社の高価なデジタルシンセ DK SYNERGYの輸入販売も行っていた。 ⇒[19]
 以降の経緯は、阪田商会の脚注を参照。
^ 阪田商会(現サカタインクス)は、1896年大阪で創業した印刷用インキ大手メーカ。
 同社はエース電子工業と日本ハモンドの出資者であり、両社製品の輸出入業務は 同社海外事業部門が担当した。 輸出品の製造プレートには「SAKATA SHOKAI」の文字が記されたので、海外ユーザはその製造元をエース電子工業ではなく阪田商会だと理解している。 ⇒[20] また後期製品の一部(例えばJugg Box DPM-48等)は、実際に海外でSAKATAブランドで販売された ⇒[21][22]
 (1980年代には外国ブランド・シンセ(Oberheim/Ensoniq/Kurzweil(以上鈴木ハモンド), Chroma Polaris II(FenderJapan&エルク電子), SCI(モリダイラ楽器), ...等)の国内生産が急速に開始され海外輸出も行われた。この時期、日本製のOberheim/Ensoniqの輸出版製造プレートにも「SAKATA SHOKAI」の文字が確認されている ⇒[23][24][25])
 このように一見ミステリアスな「SAKATA SHOKAI」の目的と役割は、同社海外事業部門(現シークス)の ⇒創業50年史 を参照。同資料に拠れば、年代を経るにつれ事業領域が下記のように変化・拡大していった事が確認できる。

1958年 大手インク会社貿易部の輸出係として誕生

1960年代 電子部品貿易(エース電子工業への出資と輸出)

1960年代 電子部品貿易(エース電子工業への出資と輸出)

1970年代 OEM事業(日本ハモンド)、他社の海外工場設立等

1970年代 OEM事業(日本ハモンド)、他社の海外工場設立等

1980年代 自社ブランド試行(SAKATAブランド)→EMS(委託生産事業)の本格化

1980年代 自社ブランド試行(SAKATAブランド)→EMS(委託生産事業)の本格化
そして1980年代後半?90年代初頭、ハモンドオルガン事業に大きな転換が生じた。

1985,6年頃 ハモンド・オルガン・カンパニーが経営終息 (詳細不明)

1991年 鈴木楽器が買収しHammond復活

1992年 サカタインクス(旧:阪田商会)海外事業部門がサカタインクスインターナショナル(現シークス)として分社独立
一連の流れの中、(おそらく1987年の阪田商会の商号変更前に) 関連事業は阪田商会から鈴木楽器へ事業譲渡 ⇒[26] され「鈴木ハモンド」となり、 最終的に「ハモンドスズキ」へと統合されたと一般に考えられている。 しかしこの間の詳しい経緯はあまりよく知られていない。
 総じて日本ハモンド/阪田商会/エース電子工業/ローランドの活動は、ハモンドの命運と市場に大きな影響を及ぼした。

OEMビジネスによる 出荷数/モデル/価格レンジの拡大

トーンホイール方式終了の追認(OEM生産拒絶)と後押し(電子オルガン開発)

クローン・ホイール電子オルガン市場の立ち上げと、市場競争の激化
(ACE TONE GT-7/GT-5, Hammond X-5/X-2/B-200, Roland VK-9/VK-6, KORG BX-3/CX-3, etc)
しかし現在に至るまで、各社の正確な活動内容や関係者の真意は今ひとつ判然とせず、その功罪もあまり語られてこなかった。 その反面、各社の引き起こした結末を潔く引き受け、事態収拾の役目を果たした鈴木楽器については、なぜか曖昧な説明が繰り返されている(Wikipedia上の記述例: 「商標は?に買い取られ」「現在 商標を持っている?」「単なる日本総代理店」)。そのアンヴィバレンツな一般認識は、ヴィンテージ楽器とそのブランド解明に強い興味を抱く人々にチャレンジャブルな課題を突き付けている。
^ Multistrings SY-5は、有名な ⇒Audio Play Ground Museum に展示があり、また国内でも運がよければヴィンテージショップ等の店頭で現物を確認できる (たとえば2000年前後、FiveG店頭に並んでいた)。しかしネット上では、例えば安西のシンセ年表にも、PSE免除のヴィンテージ・リストにも記載が無い。発売時期も詳細仕様もほとんど知られておらず、極めて謎の多い製品と言える。
 製品名や写真から観察できる範囲では、おそらく2系統のアンサンブル音源(中央部、プリセット型ポリシンセ)を中心に、オルガンまたは簡単なソロシンセ(右側緑四角の下の多数のノブ)、モジュレーション系エフェクタ、幾つかのコントローラと入力(左端ジョイスティック) を備えた3系統複合キーボードと推定される。またデザイン的特徴として、筐体上面にARP製品と同様なブロックダイアグラムが印刷されている。
 以上より、製品の機能や世代は ⇒Roland RS-505 Paraphonic Synth(1979年) ⇒[27][28] や、Roland VP-330(1979年,前期型) ⇒[29][30] に近いと推測される。しかし機能ブロックの複雑さやノブの多さ、そして何よりデザインは、 ⇒ARP Quadra(1978年) ⇒[31] や ⇒Roland Jupiter-8(1981年) に通じるものがある。今後のACE TONE Multistrings SY-5の解明に期待したい。
(追記: ⇒Guy-Lianのシンセ紹介ページ に短い説明が存在)
^ ACE TONE SH-3とは、1974年Roland SH-3 のロゴが ACE TONEに張り替えられたという説 ⇒[32] に基づく製品名である。なおRoland SH-3は、Moog特許のMoogフィルター回路を無断コピーして問題となり、すぐに回路変更後のRoland SH-3Aに入れ替わったため、Roland SH-3自体存在が稀である。ドイツの SYRISEデータベース には「ACE TONE SH-3 (1974年): ブランド・ロゴ以外完全にRoland SH-3と同一」という記述があるが、写真証拠や出典の記載は一切ない。またSound On Sound 2004年11月の記事" ⇒The History of Roland Part1: 1930-1978"に「Roland SH-3と類似したACE TONE SH-3」の記述がある。なお同誌記事は、ストーリー構築や取材源の都合に応じ時として未検証情報を交える傾向があり、デザインや仕様の若干異なるACE TONE PS-1000を取り違えたのではないかとする説 ⇒[33] もある。
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