シンガポール
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シンガポールの国債は、2015年9月時点で、3大格付機関全てから最高の格付けを受けている4か国のうちの1つである[19]

人材開発に積極的なことで知られ、国際ランキングでは、教育・医療・経済競争力において、高位に順位付けされる。多文化主義および文化多様性があり、550万人の人口の38%は、永住者およびその他外国籍の人である。シンガポール人は中華系(74.1%)、マレー系(13.4%)、インド系(9.2%)およびユーラシア人に大別でき、大部分は2言語使用者であり、共通語および第2母語として英語を使用する。

シンガポールは、一院制議会政治のウェストミンスター・システムヘゲモニー政党制の議会制共和国である。1959年の自治開始以来、人民行動党は全ての選挙で勝利してきた。抑制された市民的自由および政治的権利ならびに低水準の言論の自由を加味し、同党とリー一族の支配により、シンガポールは『準独裁政治体制』に分類されている。

東南アジア諸国連合(ASEAN)原加盟国5か国のうちの1国で、アジア太平洋経済協力(APEC)の事務局設置国でもあり、東アジアサミット非同盟イギリス連邦加盟国である。シンガポールの急速な発展は国際情勢において多大な影響力を同国にもたらし、複数のアナリストが同国をミドルパワーに分類している[20][21]

ただ、2011年の総選挙において、人民行動党の得票率は60.1%と独立後最低を記録しており、若者を中心に政治に不満を抱く層が増えており[22]報道の自由が制約され、一党支配で独裁政権である一方、経済的な豊かさを享受し、表向きには華やかなことから「明るい北朝鮮」と論評されている[23][24][25]

シンガポールは事実上1つの都市から構成されているため(都市国家)、シンガポール国内には地方自治体が存在しない。このため、首都も建前上はシンガポール市となっているが、実際には首都(ならびにシンガポール市)は存在しない。
国名マーライオンを前景としたセントラル地区のダウンタウン・コア

国名はサンスクリット語獅子を意味する「シンハ(si?ha)」と町を意味する「プーラ」で「獅子の町」に由来する。

国語はマレー語だが、公用語が4言語あるので正式名称も各言語ごとにある。

Republic of Singapore (英語:リパブリック・オブ・スィンガポー[※ 2]

新加坡共和国(標準中国語:X?nji?p? Gongheguo シンチャーポー コンホークオ、?南語(福建話):Sin-ka-pho Ki?ng-ho-kok シンカーポー キョンホーコック、広東語:S?n'gab? Guhng'wohgwok サンカーポー コンウォークオック)

Republik Singapura (マレー語:リプブリク・スィンガプラ)

??????????? ???????(タミル語:スィンガップール・クディヤラク)

通称はSingapore (英語)[※ 3][※ 2]、新加坡(中国語、旧称:星加坡、略称:星洲、星港)、Singapura (マレー語)、??????????? (タミル語)。漢字表記は新加坡だが新嘉坡と表記されることもある[※ 4]。略称は星が用いられるが、これは、第二次世界大戦前に星加坡、星港、星洲などの漢字表記が用いられたことに因む。

マレー語の「スィンガプラ(Singapura)」を直訳すると「ライオンの町」となるため、Lion Cityの愛称で呼ばれる。また、シンガポール原産のネコの種類名、“シンガプーラ”はマレー語の発音が由来である。

日本語の「シンガポール」は、英語表記のイギリス英語発音を真似てローマ字読みしたものである。また、第二次世界大戦で交戦国イギリスの領土であったシンガポールを占領した日本は、1942年2月に「昭南島」(しょうなんとう、昭和に手に入れた南の島)と改称した。このことから、“昭”と略す場合もあった。

1998年のアジア版のウォール・ストリート・ジャーナル(英語版)に掲載された第3代インドネシア大統領ユスフ・ハビビの発言に由来し「リトル・レッド・ドット」という愛称が使われるようになった[26][27][28][29]
歴史詳細は「シンガポールの歴史」および「シンガポール共和国の歴史」を参照

1400年頃 現在のシンガポール領域にマラッカ王国建国。パレメスラワが王となる。

1511年 マラッカポルトガルに占領され、マラッカ王国が滅亡。マラッカ王国の王はマレー半島ジョホールに移動、ジョホール王国建国。それに伴いジョホール王国により、現在のシンガポール領域は支配される。

1819年 イギリス人のトーマス・ラッフルズがシンガポール上陸。ジョホール王国の許可を得て商館建設。

1824年 正式にイギリスの植民地となる。

1832年 海峡植民地の首都に定められる。

1942年 シンガポールの戦いを経て、1945年まで日本軍による占領。

1959年 イギリスより自治権の獲得。シンガポール自治州となる。

1963年 マレーシア独立。その1州(シンガポール州)として参加。

1965年 マレーシアより分離。シンガポール共和国として独立。

地理詳細は「シンガポールの地理」を参照シンガポールの地理

東南アジアのほぼ中心、赤道直下の北緯1度17分、東経103度51分に位置する。北のマレー半島マレーシア)とはジョホール海峡で隔てられており、マレーシアとは経済交流も盛んである。シンガポール・チャンギ国際空港は島の東端に位置する。シンガポール島の南に隣接するセントーサ島は、リゾート地としての開発が進んでいる。

63の島からなり、最大の島はシンガポール島(東西42km、南北23km)である。国土の最高地点はシンガポール島にあるブキッ・ティマ(163m)。シンガポール島には沖積平野が広がる。他の島はいずれも小さく、44の島は面積が1平方kmを下回る。国土面積は世界175位で、東京23区とほぼ同じ広さ(琵琶湖ともいわれている)である。人口密度モナコ公国に次いで世界第2位である[30]

以前はシンガポール川沿いには倉庫が立ち並び、アジア各地を往来する無数の貿易船が停泊する貿易港として繁栄するも、やがて放棄され時代の名残となっていった。現在は多くの地域がレストラン街やオフィス街に改装されており、観光客だけではなく、地元民も多く立ち寄る地域となっている。


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