シルヴィオ・ベルルスコーニ
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表向きは「付加価値税の引き上げ反対に対する抗議」とされたが、免責に絡んだ政治行動である事は明らかだった[22]

9月28日、党首命令に従って自由の人民出身の閣僚5名が辞任を表明したが、形振り構わず党を私物化するベルルスコーニにこれまで免責運動を支持して来た党内でも不満が噴出した[21]。辞任を受け入れた閣僚の一人で、ベルルスコーニの新たな後継者とされているアンジェリーノ・アルファノ副首相兼内務大臣は「ベルルスコーニ党首の政治思想は彼以外の人間によって引き継がれるべきだ」と述べた。一方、レッタ首相は閣僚辞任に怯まず、議会での信任を問うべく内閣信任投票を自ら上院・下院に提案した[22]。また9月30日には上院でベルルスコーニに対する議員資格の剥奪勧告についても投票を行う事が決定された。

ここでも再びベルルスコーニは政党を私物化し、全所属議員に不信任へ投票するように党議拘束を行った。だが投票直前になってロベルト・フォルミゴーニ議員ら25名の上院議員が自由の人民からの離党を宣言、レッタ政権支持を表明する造反劇が発生した[23]。フォルミゴーニ上院議員に追随して投票でレッタ政権支持に投票するとした議員は40名に上り、不信任案可決は不透明な状態になった[24]。ベルルスコーニは自派抜きの内閣信任が可決して面目を失う展開を恐れ、投票日の10月2日に一転してレッタ首相支持を表明する屈辱を強いられた[25][26]。投票では圧倒的多数で内閣信任が可決し、再組閣や解散総選挙などの巻き返しを狙っていたベルルスコーニの計画は頓挫した[25]

10月4日、上院で開かれた公聴会は予定通りベルルスコーニに対する議員資格の剥奪勧告についての投票を行う事を決定した[27][28]。これによって上院本会議で議員資格の剥奪が審議される見通しとなった[29]。追い打ちを掛けるようにナポリ地方検察局による議員買収疑惑も起訴が決定[30][31]、他にミラノ地方検察局の買春疑惑についての裁判も継続していた。党内ではアンジェリーノ・アルファノ元副首相らを中心とする若手グループが創設者のベルルスコーニとその一派と距離を置き始め、先のフォルミゴーニ派の離脱に続く党内対立が表面化した[26][32][33]
公職追放

一旦は回復していたベルルスコーニの政治的影響力は度重なる裁判、議員資格の剥奪勧告、党内の分裂などで急速に失われていった。政治基盤である自由の人民は既に旧国民同盟派の議員・党員が離脱しつつあったが、自らが結成した旧フォルツァ・イタリア派の議員まで離党の動きを見せつつあった。ベルルスコーニは自由の人民を解散してフォルツァ・イタリアを再結党する事を党執行部に提案し、党内での仕切り直しを図ろうとした。しかし党内の反対派はレッタ大連立政権への協力を条件に出し、依然として保身を第一に考える自身への不満が表面化する結末となった。

2013年11月15日、ローマで開かれる党大会を前に、ベルルスコーニとの交渉が物別れに終わったとしてアルファノ元副首相を中心とする反ベルルスコーニ派議員は院内会派新中道右派」(NCD)を結成、党解散後の独自行動を伺わせた[34]。2013年11月16日、自由の人民によるローマ党大会でベルルスコーニは党の解散と大連立政権からの離脱を宣言し、自身を支持する下院議員67名・上院議員62名と「フォルツァ・イタリア」(FI)を再結成した[34]。これを受けて下院議員29名・上院議員30名からなる新中道右派は正式に会派から政党へ移行、かつて与党でもあった自由の人民はLFI、FdI-CN、NCD、FIの4政党に分裂した。

2013年11月26日、上院での来年度予算案について旧自由の人民系の諸政党は一致した行動を取らず、新中道右派が賛成票を投じて大連立政権への残留を示すのに対して、フォルツァ・イタリアは反対票を投じた。フォルツァ・イタリアの下院院内総務を務めるブルネッタ議員は「本日から我々は野党の立場となる」とコメントした[35]

2013年11月27日、予算案から一夜明けた上院で予定されていたベルルスコーニの議員資格剥奪に関する投票が行われ、賛成多数で可決された[36]。これによってベルルスコーニは1994年の初当選以来、連続当選を続けて20年近く維持してきた議席を失い、議会から追放された[36]。議会への再出馬も6年間は停止される見通しとなり[37]、公職追放を巡る裁判や高齢である事なども考えればイタリア共和国議会への復帰は困難となった。議員失職の報道が流れるとイタリアの政治正常化を期待してか、欧州株式市場が上昇する事態となった[38]

しかし資産家としての地位も変わらず、フォルツァ・イタリアの党首職にも留まっているため、完全に政治生命を絶たれたわけではない。議事堂の周辺にあるベルルスコーニの自宅前には支持者達が押し寄せ、ベルルスコーニは支持者たちの声援に「(議員資格を奪われても)引退はしない」と政界引退を否定する演説を行った[36]。欧州議会選への鞍替え出馬など復権に向けた計画を着々と進めるほか[39]、長女マリナ・ベルルスコーニをフィニンヴェスト会長、次女バルバラ・ベルルスコーニフィニンヴェスト取締役およびACミランCEO、長男ピエル・シルヴィオ・ベルルスコーニをメディアセット会長にそれぞれ就任させるなど、一族経営による家業の世襲を進めた。


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