シルヴィオ・ベルルスコーニ
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苦境に立たされたベルルスコーニは欧州連合に公約した国家財政緊縮(健全化)法案のイタリア議会下院可決後に退陣すると発表、同時に政界引退を表明した[10]

退陣後は挙国一致内閣として経済学者など実務の専門家を中心としたマリオ・モンティ政権が成立、急速な緊縮財政や雇用制度の企業側に立った改革などが実施された。モンティ改革は欧州連合からは高く評価を受けたが、痛みを受ける側である国民の中流層・下流層からは次第に「改革疲れ」が見受けられるようになっていった。
国政復帰 

2012年12月8日、こうした状況下を見てベルルスコーニは前言を翻して2013年に実施される総選挙への出馬を表明し[11]、「改革の終了」をスローガンに掲げて戦う事を宣言した。国民の間ではベルルスコーニの無責任な政治行動への反感以上にモンティ政権に対する不満が積み重なっていたため、支持率調査では予想以上の追い上げを見せた。同時期に同じく反モンティを掲げて設立された五つ星運動が若年層を中心に支持を集めており、モンティ政権支持を表明した民主党を含めて二大政党時代から三大政党時代へと移り変わった[12]。2012年12月17日、ジャンフランコ・フィーニと同じく元国民同盟派の議員であったイグナツィオ・ラ・ルッサ(英語版)元国防相が「イタリアの同胞・国民中道右翼」(FdI-CN)を結党して離党するが、ベルルスコーニの要請で自由の人民との選挙連合には留まった。

総選挙で自由の人民は議席数こそ減らしたが第3党として大政党の地位を守り抜き、党の空中分解すら囁かれた退陣直後の予測からすれば大きく健闘する形となった。加えて先の五つ星運動(第2党)とモンティ改革支持を表明しているイタリア民主党(第1党)が仲違いしている点も有利に働き、ベルルスコーニは政治的影響力を回復させている。首相職と同じく任期中の免責が認められている大統領職への鞍替えを狙い、イタリア民主党に「対ポピュリズム五つ星運動)」で右派・左派大連立を持ち掛けつつ、反モンティ改革で五つ星運動と連帯を図るなど積極的に揺さぶりを掛けた[13]。また2度の退陣を自身に経験させた政治的宿敵であるロマーノ・プローディ元首相の大統領選出に反対する行動も見せた[14]

最終的に自身の大統領当選は成らなかったものの、イタリア民主党と自由の人民による大連立は実現し、側近を含めた自派議員を閣僚職に送り込む事に成功した[15]。政府組織に影響力を維持した事で今後のベルルスコーニに対する免責問題が浮上する事はほぼ確実視されており、早くも自由の人民から選出された複数の大臣がベルルスコーニへの捜査を政治的策略とする政治大会や抗議デモを開催するなど、大連立政権への圧力が高まった[16]。イタリア民主党側から選出されたエンリコ・レッタ首相は「閣僚が閣外の問題に関与すべきではない」と不快感を表明していた。移動中のベルルスコーニ(2012年)

一方、政治的駆け引きと並行して懸案事項であるベルルスコーニへの捜査や裁判も進展しており、ナポリ地方検察局は捜査が継続されていた事件の一つである「ロマーノ・プロディ政権への陰謀疑惑」(議員買収疑惑)で一度却下された起訴を再申請した[17]。またミラノ地方検察局は未成年者への買春疑惑についても立件を決定、ベルルスコーニに公職追放と禁固6年を求刑する方針を示した[18]。また民事では2番目の妻となるヴェロニカ・ラリオとの離婚問題でそれまでの生活費の支払いを継続するように求めた妻側の要求が通り、月3億円超の支払いをミラノ地方裁判所に命じられた[19]。ベルルスコーニが富豪という点から見れば支払いは可能であると見られるが、巨額の財産分与となる命令にベルルスコーニは控訴したが棄却され、示談交渉に入った[19]
党内対立

上記の駆け引きと裁判の最中、首相時代に棚上げされていた刑事裁判の一つであるメディアセットでの脱税疑惑について、最高裁判所が禁固1年と2年間の公職追放を命じる判決を確定させる[20]。禁固刑については高齢を理由とする社会奉仕活動への代替が認められており、また公職追放については慎重な運用が求められる点から最高裁判所での再審理が予定されるなど、当初はベルルスコーニにとってそれほど差し迫った事態とは考えられていなかった。

しかしタンジェントポリによる汚職追放を背景にした政界再編の際、政治改革の一環として成立した「反汚職法」の存在が命取りとなった。同法で「明確に汚職行為が認められた政治家は国会議席を剥奪される」と定めており[21]、野党はおろか大連立政権内でも公職追放を待たずベルルスコーニを政界から追放すべきとする動きが広がっていった。元々、免責を求める策動に批判的だったレッタ首相がこの動きに乗じると、追い詰められたベルルスコーニは自党から選出した閣僚に辞任を命じた[22]。表向きは「付加価値税の引き上げ反対に対する抗議」とされたが、免責に絡んだ政治行動である事は明らかだった[22]

9月28日、党首命令に従って自由の人民出身の閣僚5名が辞任を表明したが、形振り構わず党を私物化するベルルスコーニにこれまで免責運動を支持して来た党内でも不満が噴出した[21]。辞任を受け入れた閣僚の一人で、ベルルスコーニの新たな後継者とされているアンジェリーノ・アルファノ副首相兼内務大臣は「ベルルスコーニ党首の政治思想は彼以外の人間によって引き継がれるべきだ」と述べた。一方、レッタ首相は閣僚辞任に怯まず、議会での信任を問うべく内閣信任投票を自ら上院・下院に提案した[22]。また9月30日には上院でベルルスコーニに対する議員資格の剥奪勧告についても投票を行う事が決定された。

ここでも再びベルルスコーニは政党を私物化し、全所属議員に不信任へ投票するように党議拘束を行った。


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