シルマリルの物語
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「素描」のあと、トールキンはこれより長いバージョンである『クウェンタ・ノルドリンワ(Quenta Noldorinwa)』を書き上げた[8](こちらも第4巻に収録されている)。『クウェンタ・ノルドリンワ』は、彼が完成させた『シルマリルリオン』の最後のバージョンである[8]

1937年、『ホビットの冒険』の成功に促され、トールキンはジョージ・アレン・アンド・アンウィン社に『クウェンタ・シルマリルリオン』という名を付けた『シルマリルリオン』の草稿を送った[5]。これは未完成だったものの、以前のものよりさらに発展したバージョンだった。しかし、出版社はこの作品を不明瞭で「ケルト色が強すぎる」として出版を拒否し[9]、代わりに『ホビット』の続編を書くことをトールキンに依頼した[9]。彼は『シルマリルリオン』の改訂作業を始めたが、すぐに続編の執筆に移り、これが後に『指輪物語』になった[10]。『指輪物語』が完成したあとも彼は『シルマリルの物語』の書き直し作業を続け、この2作を同時に出版することを強く希望するようになった[11]。しかしそれが叶わないことが明らかになると、『指輪物語』の出版のための作業に集中した[12]。その過程で『シルマリルリオン』は、『ホビット』の主人公であるビルボ・バギンズが晩年にエルフの史料を収集し編集されたものが後世に伝わったものという構想を練り上げるに至った。

1950年代後半、トールキンは『シルマリルリオン』に立ち戻った。しかし、この時期の執筆作業は、物語自体よりも作品の神学的、哲学的裏付けに関するものが多かった。この頃には、彼は最初期の段階に遡る、作品の根本的な部分に対して疑問を感じており、『シルマリルの物語』の「最終版」を完成させる前に、それらの問題を解決しておく必要を感じていたようである[10]アルダにおける悪の性質、オークの起源、エルフの習慣、エルフの再生(Elvish rebirth)の方法と性質、太陽と月の説話と「平たい」世界などの幅広いトピックがこの時期に書かれた[10]。これ以降は、トールキンは若干の例外を除いて物語にほとんど変更を加えなかった[10]
死後の出版

トールキンの死の数年後、息子のクリストファー・トールキンは『シルマリルリオン』の物語の編集作業に着手した。彼は可能な限り晩年に書かれた遺稿を使用し、作品に一貫性を(加えて『指輪物語』との一貫性も)持たせようとしたようだが[13]、一方で完璧な一貫性を持たせるのは不可能だったと後に認めている[5]。『中つ国の歴史』で説明されているように、彼は膨大な量の草稿の中からできる限り『指輪物語』の後に書かれたものに依拠しようとしたが、結局、トールキンが意図したものの結局書かれなかった箇所については1917年の『失われた物語の書』にさかのぼって間を埋めることになった。たとえば、『クウェンタ・シルマリルリオン』後半の章である「ドリアスの滅亡のこと」(第22章)は、1930年代初期に最後に手を付けたまま放置されており、クリストファーは断片から物語を創りださなければならなかった[14]。最終的にできあがったものは、系図や地図、索引、初出のエルフ語の単語集を付けられ、1977年に出版された。

(『中つ国の歴史』で明らかにされた)出版に至るまでについての経緯が問題となり、『シルマリルの物語』の大部分は読者の議論の的になってきた。クリストファーが直面した問題が非常に困難なものだったということは、一般に受け入れられている。トールキンが死去したときの原稿の状態は、とても錯綜していたからである。重要なテキストのいくつかはすでにトールキン家の所有ではなくなっており、クリストファーは様々な資料を渉猟しなければならなかった。『中つ国の歴史』の後半の巻で、出版されたバージョンとは異なる様々なアイデアがトールキンの遺稿に存在することが明らかになった。もしもっと時間があってすべてのテキストに触れることができたなら、出版された作品はもっと違ったものになっていただろうと彼はのちに述べている。しかし、彼はできるだけ早く出版可能なものを生み出すよう、出版社や読者からの圧力と要求に晒されていたのである。読者の中には、『シルマリルの物語』は父の作品というより息子の作品だと主張するものがおり、いくつかの文学サークルではこの作品の「中つ国の正典」における立ち位置が熱心に議論されている。

1996年10月、クリストファーはカナダのイラストレーターのテッド・ネイスミス(英語版)に『シルマリルの物語』の全ページフルカラーのアートワークの制作を依頼した。それが収録されたバージョン(イラストレイテッド・エディション)は1998年に出版された。このイラスト版は、2004年にネイスミスのイラストをさらに追加し、いくつかの修正を施した第2版が出版された。

1980年代から1990年代にかけて、クリストファーは父の中つ国に関する遺稿のほとんどを『中つ国の歴史』12巻として公刊した。『指輪物語』の初期の草稿に加え、このシリーズは『シルマリルの物語』として出版された物語のもととなった素材を大量に含んでおり、『シルマリルの物語』と異なっているものが多くある。さらに、『中つ国の歴史』は『シルマリルリオン』の後期のバージョンがどのような状態で未完に終わったかを明らかにしている。『失われた物語の書』のときに書かれたきり、二度と書き直されることのなかった部分がいくつも存在するのである。
影響

『シルマリルの物語』は複雑で、様々な作品の影響を受けている。強く影響を与えた作品はフィンランドの叙事詩『カレワラ』であり、特にそのなかのクッレルヴォの物語である。ギリシア神話からの影響も明らかであり、たとえばヌーメノールの島はアトランティスから来ている[15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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