シルベスター・スタローン
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1974年には『ブルックリンの青春』が公開され、スタローンは2番目にクレジットされた[17]。1975年、スタローンは『さらば愛しき女よ』、『ビッグ・ボス』、『デス・レース2000年』で助演を務めた。テレビドラマの『ポリス・ストーリー』や『刑事コジャック』にも出演した。他に『マンディンゴ』にも出演したとされている。彼のシーンは削除されたと言われている[37]

スマッシュヒットとなった『ロッキー』において主演を務めたことでスタローンは世界的な名声を手に入れた。『ロッキー』は無名のボクサー、ロッキー・バルボアが世界ヘビー級王者アポロ・クリードに挑むスポーツ・ドラマである[17]。1975年3月24日、モハメド・アリチャック・ウェプナーの試合を観戦した。その夜、帰宅したスタローンは脚本を書き始め、3日後には『ロッキー』の第一稿が完成していた[38]。スタローンは脚本へのウェプナーの影響を否定したがウェプナーが訴訟を起こし、最終的にはスタローンが非公開の金額を支払うこととなった[39][40]。その他に映画に影響を与えたと考えられるのはロッキー・グラジアノの自伝『Somebody Up There Likes Me』とその映画版『傷だらけの栄光』がある。スタローンは主演を兼任するつもりで複数のスタジオに脚本を売り込んだ。アーウィン・ウィンクラーロバート・チャートフが脚本に興味を持ち、スタローンに350,000USドルをオファーしたが、主演にはロバート・レッドフォードバート・レイノルズのような独自の俳優を起用するつもりだった。スタローンは主演ではない限り脚本を売ることを拒否し、最終的に予算が大幅にカットされることで合意となり、主役の座を射止めた[41]。公開後、批評家のロジャー・イーバートは、スタローンは次のマーロン・ブランドになれるかもしれないと述べた。

1977年、第49回アカデミー賞において、スタローンはアカデミー主演男優賞脚本賞にノミネートされた。受賞はならなかったが、作品賞監督賞編集賞を受賞した。
続く成功: 1978年?1999年1977年、ケン・ノートン対デュエイン・ボビックのボクシングマッチにおけるスタローン

スタローンは1978年の『パラダイス・アレイ』で監督デビューを果たし主演も務めた。彼はプロフェッショナル・レスリングに関わることになる三兄弟のひとりを演じた。同年、スタローンはノーマン・ジュイソンの社会派ドラマ『フィスト』に主演した。この時の役は労働組合リーダー、ジミー・ホッファに緩く基づいており、スタローンは倉庫の労働者を演じた。

1979年、スタローンは『ロッキー2』の主演、脚本、監督(ジョン・G・アヴィルドセンに代わって)を担当した。この続編は大ヒットとなり[17]200万USドルを記録した。

1981年、彼は『勝利への脱出』でマイケル・ケインやサッカーのスター、ペレと共演した。この映画ではナチスのプロパガンダであるサッカー試合に出場する捕虜を演じた。同年、『ナイトホークス』に主演し、ルトガー・ハウアー演じる外国のテロリストを追うニューヨークの刑事を演じた。

1982年、スタローンはアクション映画『ランボー』で、ベトナム帰還兵の元グリーン・ベレージョン・ランボーを演じ[17]、興行的にも批評的にも成功を収めた。批評家はスタローンの演技を、原作小説で描かれたのとは反対に人間らしく演じていると評価した。この作品から『ランボー』シリーズが開始された。同じ年にスタローンが主演、脚本、監督を務めた『ロッキー3』も公開された。この3作目は興行的にヒットした。こういった役に備えるため、スタローンは過酷なトレーニングを実行した。週6日ジムに通い、夜にはさらに腹筋運動を行うこともしばしばだった。『ロッキー3』の際には、体脂肪率を生涯最低の2.8%まで落としたとスタローンは話している[42]

1983年、スタローンはジョン・トラボルタ主演『サタデー・ナイト・フィーバー』の続編『ステイン・アライブ』を監督した。これはスタローンが自監督のみ担当して主演しなかった唯一の作品である。『ステイン・アライブ』は世界的に酷評された[43]。批評的には失敗したものの、『ステイン・アライブ』は興行的には成功した。この映画が公開されると、当時のミュージカル映画の週末観客動員数の記録を更新し、1,660スクリーンで12,146,143ドルを稼いだ[44][45]。最終的に、この映画はアメリカで2200万ドルの予算から6500万ドルの記録を出した。世界的には1億2700万ドルの収入を上げた[46]。アメリカ国内の興行収入は『サタデー・ナイト・フィーバー』の1億3950万ドル[47]をはるかに下回ったものの、1983年の最も売れた映画トップ10入りを果たした。

1980年代のスタローンは、アーノルド・シュワルツェネッガーとともに世界一のアクション映画スターの一人であった[48]。シュワルツェネッガーとスタローンの対立は続き[49]、ふたりは会見でお互いを攻撃しあい、作中でより多くの敵を殺し大きな武器を使うことで相手に勝とうとしていた[48]。スタローンは時として違うジャンルにも挑戦したがうまくいくことはなかった。1984年、スタローンはコメディ映画『クラブ・ラインストーン/今夜は最高!』の共同脚本を担当し、ドリー・パートンと共演した。彼はカントリー音楽歌手志望者を演じた。この作品のサウンドトラックでは歌を披露した。スタローンはこの作品に出演するために『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』の主役を断ったが、のちに後悔した[50]

1985年、スタローンは『ロッキー4/炎の友情』と『ランボー/怒りの脱出』に出演してシリーズ物での成功を続けた。スタローンはこの2人のキャラクターを合計13の映画で演じている。スタローンは元ミスター・オリンピアフランコ・コロンボと会い、ミスター・オリンピアに挑戦するかのような鍛錬で『ロッキー4』の肉体作りを行った。


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