シルベスター・スタローン
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1988年ランボー3/怒りのアフガン
1992年刑事ジョー/ママにお手あげ
最低助演男優賞
2003年スパイキッズ3-D:ゲームオーバー
2023年エクスペンダブルズ ニューブラッド
最低監督賞
1985年『ロッキー4/炎の友情』
最低脚本賞
1985年『ランボー/怒りの脱出』
最低スクリーンカップル賞
1994年スペシャリスト
1980年代最低男優賞
1989年 多数の作品
20世紀最低男優賞
1999年 彼のした全てのことの99.5%に対して
名誉挽回賞
2015年 『クリード チャンプを継ぐ男』でのアカデミー賞ノミネートに対して
セザール賞
名誉賞
1992年
その他の賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞
助演男優賞
2015年『クリード チャンプを継ぐ男』

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シルヴェスター・エンツィオ・スタローン(Sylvester Enzio Stallone、出生名Michael Sylvester Gardenzio Stallone、1946年7月6日 - )とは、アメリカ合衆国の俳優であり映画製作者である。
人物

1969年にニューヨーク、1974年ハリウッドで活動を始め、何年も苦闘しながら『ブルックリンの青春』のスタンリー・ロジエロ役の助演で初めて批評家から評価を受けた。スタローンはその後もエキストラや脇役で低予算映画への出演を続け、1976年に『ロッキー』シリーズ(1976年?2023年現在)の第1作目で脚本を書いた上でロッキー・バルボア役を演じ、俳優、脚本家として批評的にも興行的にも大成功を収めた[1]。シリーズ中、ロッキーは無名のボクサーだったが数々の強敵と闘い、世界ヘビー級王者に2度輝いている。

1977年、スタローンはアカデミー脚本賞主演男優賞の両方にノミネートされた史上3人目の人物となった。『ロッキー』はアメリカ国立フィルム登録簿に登録されスミソニアン博物館に小道具が収蔵されている。スタローンが『ロッキー』シリーズでフィラデルフィア美術館の入り口を効果的に使用したことで、この場所はロッキー・ステップと呼ばれるようになった。フィラデルフィアはロッキーの銅像を美術館付近に永続的に設置しており、スタローンは国際ボクシング名誉の殿堂博物館に選ばれた。

1982年まで、スタローンの映画は『ロッキー』シリーズ以外ではあまり興行的に成功しなかった。そしてその続編も第1作目以上の批評を受けることはなかった。この状況はアクション映画『ランボー』でPTSDを抱えた兵士ジョン・ランボーを演じたことで打破された。ディヴィッド・マレルによる小説『一人だけの軍隊』の映画化であったが、制作中、スタローンによって脚本は大きく改訂された[2]。スタローンは合計5回『ランボー』シリーズ(1982年?2019年)に主演した。1980年代中盤から1990年代後半にかけてスタローンはハリウッドで最も報酬の高い俳優となり、数多くの興行的に成功したアクション映画に主演したが、批評家からはあまり評価されなかった。主演作品には『コブラ』、『デッドフォール』、『クリフハンガー』、比較的評価の高い『デモリションマン』、『スペシャリスト』などがある。

2000年代初期にはスタローンの人気は低迷を見せたが、2006年の『ロッキー』シリーズ6作目と2008年の『ランボー』シリーズ4作目でトップに復帰した。2010年代には『エクスペンダブルズ』シリーズ(2010年?2023年現在)を作り、傭兵のバーニー・ロス役で主演した。2013年にはヒット作『大脱出』に主演し、続編にも出演している。2015年、スタローンは『クリード チャンプを継ぐ男』でロッキー役に復帰した。この作品ではマイケル・B・ジョーダン演じるアポロ・クリードの息子アドニス・"ドニー"・クリードが主人公であり、引退したロッキーが指導者となる。この演技が評価され、スタローンは初めてゴールデングローブ賞 映画部門 助演男優賞を受賞し、40年ぶりに3度目のアカデミー賞ノミネートを受けた。

スタローンはアメリカの映画史上、1970年代?2020年代の6つの時代において興行的にトップを獲得した映画に出演した記録を持つ唯一の俳優である[3][4]。彼はまた、歴史上最も有名なフィジカル・カルチャーのアイコンのひとりでもある。
生い立ち

マイケル・シルヴェスター・ガーデンツィオ・スタローン[5][6]は1946年7月6日[7]ニューヨーク、マンハッタンヘルズ・キッチン地区[8]に、美容師フランセスコ・"フランク"・スタローン・シニアと占星家、ダンサー、女子レスリングプロモーターのジャクリーン・"ジャッキー"・スタローン(旧姓ラボフィッシュ)の長男として生まれた。イタリア系の父はプッリャ州ジョーイア・デル・コッレの出身であり、1930年代にアメリカに移住した[9][10]。アメリカ人の母はフランス(ブルターニュ)とアシュケナジムの血を引く[11][12][13][14][15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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