シルクロード
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モンゴルのツァヒアギーン・エルベグドルジ大統領が同名の中露蒙経済回廊を提唱していることでも知られている[14][15]

ユーラシア・ステップ

モンゴルの草原地帯

オアシスの道.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}ケリヤニヤホータン
(于?)カルギリク且末ヤルカンド
(莎車)イェンギサール若羌カシュガル陽関巴楚ロプノール敦煌玉門関楼蘭アクス烏什亀茲コルラクチャ輪台焉耆高昌ハミトルファンアルマトイウルムチグルジャ阿拉山口カラマイチョチェクアルタイスイアブ鎖陽城アルタイ山脈天山山脈崑崙山脈パミール高原アルチン山脈タクラマカン砂漠クムタグ砂漠グルバンテュンギュト砂漠 西域地図(東トルキスタン/新疆ウイグル自治区

東トルキスタンを横切って東西を結ぶ隊商路は「オアシスの道」と呼ばれる[16][13]。このルートをリヒトホーフェンが「シルクロード」と名づけた。洛陽や長安を発って、今日の蘭州市のあたりで黄河を渡り、河西回廊を経て敦煌に至る[16][13]

ここから先の主要なルートは次の3本である。西トルキスタン[注釈 3]以西は多数のルートに分岐している。このルート上に住んでいたソグド人が、時代のおよそ7世紀?10世紀頃シルクロード交易を支配していたといわれている。
西域南道 (漠南路)
タクラマカン砂漠の南側を通るルート[16][17]。敦煌からホータンヤルカンドなど崑崙山脈北側のオアシスを辿って、カシュガルからパミール高原に達する[17]。オアシスの道の中では最も古く、紀元前2世紀頃の前漢の時代には確立していたとされる。5世紀に法顕は西域南道を通ってインドに渡った[17]。このルートは、敦煌を出てからロプノールの北側を通り、楼蘭を経由して砂漠の南縁に下る方法と、当初からロプノールの南側、アルチン山脈の北麓に沿って進む方法とがあったが、4世紀頃にロプノールが干上がって楼蘭が衰退すると、水の補給などができなくなり、前者のルートは往来が困難になった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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