シルクロード
[Wikipedia|▼Menu]
モンゴルのツァヒアギーン・エルベグドルジ大統領が同名の中露蒙経済回廊を提唱していることでも知られている[14][15]

ユーラシア・ステップ

モンゴルの草原地帯

オアシスの道.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}ケリヤニヤホータン
(于?)カルギリク且末ヤルカンド
(莎車)イェンギサール若羌カシュガル陽関巴楚ロプノール敦煌玉門関楼蘭アクス烏什亀茲コルラクチャ輪台焉耆高昌ハミトルファンアルマトイウルムチグルジャ阿拉山口カラマイチョチェクアルタイスイアブ鎖陽城アルタイ山脈天山山脈崑崙山脈パミール高原アルチン山脈タクラマカン砂漠クムタグ砂漠グルバンテュンギュト砂漠 西域地図(東トルキスタン/新疆ウイグル自治区

東トルキスタンを横切って東西を結ぶ隊商路は「オアシスの道」と呼ばれる[16][13]。このルートをリヒトホーフェンが「シルクロード」と名づけた。洛陽や長安を発って、今日の蘭州市のあたりで黄河を渡り、河西回廊を経て敦煌に至る[16][13]

ここから先の主要なルートは次の3本である。西トルキスタン[注釈 3]以西は多数のルートに分岐している。このルート上に住んでいたソグド人が、時代のおよそ7世紀?10世紀頃シルクロード交易を支配していたといわれている。
西域南道 (漠南路)
タクラマカン砂漠の南側を通るルート[16][17]。敦煌からホータンヤルカンドなど崑崙山脈北側のオアシスを辿って、カシュガルからパミール高原に達する[17]。オアシスの道の中では最も古く、紀元前2世紀頃の前漢の時代には確立していたとされる。5世紀に法顕は西域南道を通ってインドに渡った[17]。このルートは、敦煌を出てからロプノールの北側を通り、楼蘭を経由して砂漠の南縁に下る方法と、当初からロプノールの南側、アルチン山脈の北麓に沿って進む方法とがあったが、4世紀頃にロプノールが干上がって楼蘭が衰退すると、水の補給などができなくなり、前者のルートは往来が困難になった。距離的には最短であるにもかかわらず、極めて危険で過酷なルートであるが、7世紀玄奘三蔵はインドからの帰途このルートを通っており、楼蘭の廃墟に立ち寄ったと『大唐西域記』に記されているので[18]、前者のルートも全く通行できない状態ではなかったものとみられる。13世紀の都を訪れたマルコ・ポーロは、カシュガルから後者のルートを辿って敦煌に達したとされている。現在[いつ?]のG315国道は、部分的にほぼこの道に沿って建設されており、カシュガルからホータンまでは、2011年喀和線が開通している。
天山南路(西域北道, 漠北路, Northen Silkroad)
天山山脈の南側を通るルート[16][17]。敦煌からコルラクチャアクスを経て、天山山脈の南麓に沿ってカシュガルからパミール高原に至る[17]。西域南道とほぼ同じ頃までさかのぼり、最も重要な隊商路として使用されていた。このルートは、楼蘭を経由してコルラに出る方法と、敦煌または少し手前の安西からいったん北上し、ハミから西進してトルファンを通り、コルラに出る方法とがあったが[17]、楼蘭が衰退して水が得られなくなると、前者は通行が困難になった。現在[いつ?]トルファンとカシュガルを結んでいる南疆線は、概ね後者のルートに沿って敷設されており、1971年に工事が始まり、1999年に開通した。G314国道も部分的にほぼこの道に沿っている。
天山北路
天山山脈の北側を通るルート[16][17]。敦煌または少し手前の安西から北上し、ハミまたはトルファンで天山南路と分かれてウルムチを通り、天山山脈の北麓沿いにイリ川流域を経てスイアブに至る[17]。紀元後に開かれたといわれる。砂漠を行く上記ふたつのルートに比べれば、水や食料の調達が容易であり、平均標高5000 mとされるパミール高原を越える必要もない。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:86 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef