半世紀にわたって独裁体制を維持できているのは、汎イスラム主義と他信仰に寛容な世俗主義という相反するイズムの使い分けによるとされる[5]。ただし、政権批判や反政府活動に対しては容赦ない弾圧を加えており[5]、英国のエコノミスト誌傘下の研究所エコノミスト・インテリジェンス・ユニットによる民主主義指数は、下から4番目の世界164位で「独裁政治体制」に分類されている(2019年度)[7]。国境なき記者団による世界報道自由度ランキングも下から7番目の174位と下位で最も深刻な国の一つに分類されている(2020年度)[8]。
外交は反イスラエル・反米路線が顕著であり、イスラエルと数度にわたって戦争を行ない(中東戦争)、1967年の第三次中東戦争の結果、南西国境地帯のゴラン高原を占領されている[9]。イスラエルに対抗してレバノンで活動するシーア派原理組織「ヒズボラへの支援を行っている[5]。このことからアメリカ合衆国からはテロ支援国家に指定されている[10]。1990年代には和平交渉が断続的に行われたが、2000年3月に暗礁に乗り上げた[11]。
経済面では、国の歳入は、東部で産出される石油が1位だが、産出量・埋蔵量とも少ないため、枯渇が深刻化している。ただし、綿花、小麦、オリーブ栽培といった農業の他、繊維、食品加工、セメントなどの工業も見られ、中東諸国に顕著な石油依存のモノカルチャー経済というわけではない[5]。
面積は約18万5000平方キロメートル。人口は約2000万人で、9割をシリア系アラブ人が占める。イラン語系のクルド人や印欧語系のアルメニア人他も存在する多民族国家である。公用語はアラビア語。アラブ系国民の9割近くをイスラム教スンニ派が占めているが、現大統領アサドはアラウィー派(シーア派の一派)である。アルメニア使徒教会やコプト正教会など東方教会系のキリスト教徒も1割ほどいる[5]。 正式名称は、アラビア語で?????????????? ???????????? ?????????????(翻字: al-Jumh?r?yah al-'Arab?yah as-S?r?yah)で、読みはアル=ジュムフーリーヤ・ル=アラビーヤ・ッ=スーリーヤ、通称 ????????(S?riy? スーリヤー)または ????????(S?r?ya スーリーヤ)。 公式の英語表記は Syrian Arab Republic (シリアン・アラブ・リパブリック)。通称 Syria (シリア)。 日本語の表記はシリア・アラブ共和国[12]。通称シリア。 「シリア」の語源は不明だが、アッシリアの転訛とする説、ティルスの転訛とする説などがある[13]。
国名
歴史紀元前10世紀の建築を原型とするアレッポ城詳細は「シリアの歴史」を参照
アケメネス朝詳細は「アケメネス朝」を参照
アケメネス朝ペルシアが古代オリエントを統一。
セレウコス朝詳細は「セレウコス朝」を参照
紀元前305年 - マケドニアのセレウコス将軍が王号を名乗る。首都はアンティオキア(現在のトルコ領アンタキヤ)。
紀元前304年 - インド領からの撤退が始まる。
紀元前301年 - シリア地方獲得。
紀元前274年 - ガリア人侵入を撃退。
紀元前274年?紀元前168年 - コイレ・シリアをめぐるセレウコス朝シリアとプトレマイオス朝エジプトのシリア戦争。
紀元前130年 - パルティア軍に敗北。全東方領土を喪失。
ローマ帝国詳細は「シリア属州」を参照