コネリーは2000年にイギリス女王エリザベス2世からナイトの称号を与えられたが、スコットランドの分離独立を主張するスコットランド国民党の熱烈な支持者でもある。授与式には、民族衣装キルトで正装して現れた。なお、コネリーは「スコットランドが独立するまで私は死んでもスコットランドに帰らない」とまで明言している[6]。
コネリーの引退の理由について、友人のマイケル・ケインはコネリーが脇役かつ年老いた役柄を演じたいとは思っていないことが理由だとしている[30]。また、ロード・オブ・ザ・リングシリーズのガンダルフ役のオファーを受け[31]、同シリーズの原作本を読み、送られてきた脚本も読んだがガンダルフというキャラクターを理解できず出演を固辞し、同シリーズの成功を見極められなかったことが引退につながった、との見方もある[32]。
コネリーは自身がプレーしていたサッカーを愛し、特にグラスゴー・レンジャーズの大ファンとして知られていた[33]。 元妻ダイアン・シレントは、数十年もたった2005年になって出版した自伝[34]の中で、11年間の結婚期間中、肉体的・精神的に虐待されてきたと暴露した[35]。1965年にはシレントが「酔っぱらって」帰宅したところ、コネリーに殴られたという[36][37]。 2008年、またもシレントは元夫を中傷し、コネリーが一人息子のジェイソンに対して自立して生計を立てるよう、8千5百万ポンドの財産のうち1ペニーたりとも相続させないと言ったと語った[38]。しかし、コネリーはこれを否定して息子との関係は良好であると語り、暴力疑惑についても争う用意があることを明らかにした。また、離婚した際にジェイソンおよびシレントの娘の教育費として「8万5千ポンドの信託財産」を設けたが、今日では「当然もっと増えている」はずだと主張した[39]。ジェイソン本人もシレントの意見を全面否定し、父は暴君ではなく父が稼いだ金をどうしようと父次第だと述べた[40]。しかしシレントはコネリーが34歳のとき、セラピーにおいて当時は合法だったLSDを使い、それが虐待を引き起こしたと中傷した[41]。 公開年日本語題原題役名備考日本語吹替
その他
フィルモグラフィ
1957年地獄特急
虎の行動Action of the Tigerマイク渡部猛
1959年四つの願いDarby O'Gill and the Little Peopleマイケル・マクブライド大塚明夫
ターザンの決斗
1961年殴り込み愚連隊The Frightened Cityパディ・ダミオン城達也
ダイナミック作戦On the Fiddleペドラー・パスコー田中信夫