シュガー・ベイブ
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矢野は三輪車についてレコード会社から「学生街の喫茶店」が流行っていたので、ああいうのを目標にしてやってみたらどうかと言われるが、矢野自身は好みではなかった。その一方、大貫のオリジナルを聴き、シュールで冷たい詞を結構気に入っていて、次第に矢野の嗜好する音楽に大貫が接近して行く。「グループを辞めたい」と漏らした大貫に、矢野は「じゃあ、辞めたら。もっといい仲間がいるから」と答えた。結局、三輪車はなし崩し的に辞めてしまい、矢野の紹介で四谷のロック喫茶“ディスク・チャート”を訪れる。

ディスク・チャートは同年秋、ジャズ喫茶“いーぐる”のオーナー後藤雅洋が“いーぐる”のすぐ傍にオープンさせたロック喫茶。当時、長門芳郎と長門の学生時代からの友人でバンド仲間でもあった小宮康裕の二人が店の運営を任されていた。長門は大学を中退して土方をしていたが、この年の夏に故郷の長崎ではっぴいえんどを招いてイベント“大震祭Vol.3”[注 3]を主催した。その後音楽事務所に入るつもりで再上京したがやめて、小宮に誘われてこの店に勤めるようになった[注 4]。長門と小宮がレコードのセレクトを任されてからは、それまでのメジャーでハードな路線から、当時はまだサブカルチャー的だったともいえるソフトなアメリカン・ロックがかかるようになっていた。

ディスク・チャートでは閉店後、毎週水曜日に地下室でセッションが行われていた。メンバーは大貫のほか、長門と小宮。元ソルティー・シュガーの山本コウタローや徳武弘文。この時カメラマンのアシスタントをしていて後にシュガー・ベイブに参加する野口明彦。他に矢野や武蔵野タンポポ団若林純夫、後に広告業界に身を置く下條高志などが参加して自作曲やCMソングの録音が行われていた。併せて、後にTVプロデューサーとなる日野原幼紀のアイデアで、大貫のソロ・デビューに向けたオリジナル曲のデモ・テープ制作も行われるようになり、「午后の休息」[注 5]他数曲が録音される。

11月、山下、自主制作盤のレコーディング・メンバーだった武川から彼の大学で評判になっていたディスク・チャートの存在を知らされる。しばらく講習がたて込んでいて行けそうもないという武川に代わって山下が『ADD SOME?』を置いてもらうように店に行き、チーフの長門と会う。音楽の趣味があったため話に熱が入り、結局持参したレコードはプレゼントしてしまう。その場で聴いた長門は、山下のヴォーカルにすぐさま惹かれ、彼をディスク・チャートで閉店後地下室で行われていたセッションを見に来ないかと誘う。

12月、山下・鰐川・武川・村松、ディスク・チャートで閉店後地下室で行われていた大貫のデモ・レコーディングのセッションを見学する。以後、山下は一人で足繁く通うようになり、やがて見学だけではおさまらず、コーラス・アレンジに意見を出したり、自分もギターを持ち込んで演奏に加わって歌うなど、次第にセッションに欠かせない存在となる。

暮れ、山下、この頃にはオリジナルの作品を何曲か作っていたが、まだそれをバンドで演奏した事がなかった。バンドそのものが『ADD SOME?』完成の時点で既に解散していて、以降は勝手に集まってセッションを繰り返しているにすぎなかった。オリジナル曲をやるのであれば、またバンドを組んで演奏活動をしなければ意味がないと考え、勝手な妄想から自身のバンド構想が出来上がる。

暮れ、コーラス・レンジを広げるため、まずはシンガーとしてソロ・デビュー計画があった大貫にバンドへの参加を持ちかける。大貫には三輪車の時のわだかまりが残っていて、グループを組んで音楽活動をすることにためらいがあった。しかし、今の状況で深夜にデモ・テープを作っていても、出来上がった後の展開にいまひとつ不安があることも確かだった。さらに、今後一人だけで音楽活動を続けていく自信もなく、どうしても一緒に活動するミュージシャンが必要になるとの考えから、参加を了承する。併せて、山下の“女性はバンドではキーボードを弾くもの”と決めていた説得でギターから、小学校4年生の時に引越でピアノを手放して以来触ったことが無かったというキーボードへの転向も了承する。

暮れ、山下、鰐川にベースでメンバーになるよう説得。もともとギタリストだった鰐川は当初渋ったものの、バンドをやりたいとの思いに勝てず、これを了承する。
1973年

1月、山下、ギターは鰐川のほうが指は速かったが“フレーズが泣く”という理由で、すでに会社員として勤務していた村松を口説き、最終的には参加させる。

3月、知り合いのつてを頼ってドラムのメンバー募集を開始。4月の一日を使ってメンバーと一緒に演奏してオーディションを行い、決めることにする。並行して大貫のキーボードの特訓も始まり、数曲をバンドで演奏できるようにした。

4月、応募してきたドラマーのオーディションを行う。参加したドラマーは全員そこそこは叩けたが、協調性のなさや妙な癖があるなど何かしらの見過ごせない欠点があり、結果は惨敗だった。一度は山下が自分で叩くしかないかとも考えたが、ディスク・チャートのセッションで顔見知りだった野口が最近ドラムを始めたことを大貫から聞き、山下がドラムを教えれば2、3か月でどうにかなるだろうということで野口に会うことにする。

4月、山下、野口と会う。野口は話を聞くとあっさりとバンド加入を了承、ようやくメンバーが決まる。

5月、山下、長門にマネージャーになるよう依頼、長門も引き受けることを決める。バンド名は映画『砂丘[注 6]で使われていたヤングブラッズの曲名からとって“シュガー・ベイブ”に決定するが、この時、山下と長門は同じ名前を考えていた。

初夏、はちみつぱいのベーシスト、和田博巳の経営する高円寺のロック喫茶“MOVIN'”で伊藤銀次と駒沢裕城が『ADD SOME?』を聴き、大滝詠一に伝える[注 8]。和田は、渋谷ヤマハで買い求めた『ADD SOME?』を、店でよくかけていたという。

8月18日、山下、長門とともに福生の大滝宅を訪問。以後、大滝のレコード・コレクションを聴くため通い詰める。大滝、山下にはっぴいえんどラスト・ライヴでのコーラスを依頼する。

8月23日、長門が故郷の長崎で友人たちと主催したイベント“大震祭Vol.4”にて、デビューコンサート(長崎NBCビデオ・ホール 共演:グッド・モーニング、ドゥーワー・ブラザース)[注 9]。大貫がMCを担当した、最初で最後のステージ。

8月26日日本テレビ系「遠くへ行きたい」放送。番組中、大貫が知床で切り株に腰掛けて「光の中へ」(山下作)と「港の灯り」(小宮やすゆう作)、列車の中で番組のテーマ曲「遠くへ行きたい」を歌う。

9月、はっぴいえんどラスト・ライヴに向け、ココナツ・バンクと合同でリハーサルを行うためコーラス隊の山下、大貫、村松が数回、大滝宅を訪れる。音を出しながら曲の構成をまとめつつ、同時に山下がそれを横で聴きながらコーラスのアイデアを考えて、すぐにコーラスを試す。それを1曲ごとに行い、それらがある程度決まったらパーカッション部隊の鰐川・野口を呼んで、全員で仕上げのリハにとりかかるという段取りで進めることになった[注 10]

9月10日、新宿ラ・セーヌ(共演:ビートルズのコピーバンド)[注 11]

9月11日、はっぴいえんどラスト・ライヴに向けた、ココナツ・バンクとの合同リハーサルのため、今度はメンバー全員で大滝宅を訪れる。リハーサルは以後数日行われる。

9月21日、はっぴいえんどラスト・ライヴ“CITY-LAST TIME AROUND”にて大滝詠一、ココナツ・バンク、布谷文夫のコーラスに参加(文京公会堂)。後に『ライブ!! はっぴいえんど[注 12]として発売。

10月、“三菱ラジオジーガム(日本語改作版)”レコーディング(HITスタジオ)[注 13]。大滝のCMソングに、シュガー・ベイブがコーラスで初参加。

11月9日東洋大学“白山祭”。

11月18日跡見女子短期大学学園祭。

12月17日、“HELLO! WE'RE SUGAR BABE”(青山タワー・ホール 共演 : 小宮やすゆうとレッド・アイ・エキスプレス, 山本コウタローと少年探偵団, はちみつぱい[注 14]。ライブ中突然、山下がMCでこの年に発売された洋楽アルバムのベストテンとワーストテンを発表した。そのときの様子を、伊藤とともにライブを見ていた大滝曰く“8月に(福生に)来たにいちゃんがバンドで怪気炎上げてて”[7]

数日後、はっぴいえんどが所属していたプロダクション“風都市”が長門に接触、バンドと一緒の入社を打診してくる。メンバーと相談した結果、長門は承諾の返事をする。
1974年

1月1日、マネージャーの長門とともに、風都市に入社。これを機に、それまで練習スタジオ代わりに使用していた並木宅から、風都市が契約していた新宿のスタジオでリハーサルを行うようになる。

1月16日、“三ツ矢サイダー'74”レコーディング(?17日 ポリドール・スタジオ)[注 15]

1月24日、“三ツ矢サイダー'73 (Long Version)”レコーディング(ポリドール・スタジオ)[注 16]

1月28日、“大滝詠一&鈴木茂コンサート”にゲスト出演(仙台市公会堂)。鈴木が風邪のため南佳孝が出演。

2月15日、ファッションショーでの大貫のパフォーマンスに山下がバッキングで参加(有楽町・読売ホール)[注 17]

3月2日渋谷・ジァン・ジァン“昼の部”に初出演。

3月、レコード会社へのプレゼン用デモ・テープ録りの話が具体化。4月の第1週にニッポン放送銀河スタジオでの録音決定が、長門からメンバーに告げられる。

4月3日、デモ・テープ録音(ニッポン放送第一スタジオ)[注 18]
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