シャー・ナーメ
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岡田によれば、このような言葉による「嘆き」のエネルギー、この情熱が、ペルシア詩のそしてまたイラン人の否定し難い特質であるという[4]
成立の背景

紀元前6世紀にペルシアのアケメネス朝が興った。現在のイランを中心に東西に拡大したこのペルシア大帝国は、前230年のアレクサンダー大王の東進で崩壊した。大王の死後、その広大な領域はいくつかに分断され、ついで、中央アジア起源のパルティア人がペルシャ全土を領有し、そのパルティア王国は紀元後三世紀まで続いた。

226年、数世紀続いたこの異民族国家を倒して、サーサーン朝ペルシアが成立した。新王朝は古代ペルシアの宗教ゾロアスター教を国教と定めた。651年、ムハンマド創始のイスラームを奉じるアラブ人の攻撃でペルシア王朝は崩壊してしまった。侵略者はイスラーム化政策を強行し、イラン人のゾロアスター教から、イスラームへの改宗、アラビア文字の使用などを推進した。

以後、中世を通じてペルシアにはトルコ・モンゴルの異民族王朝が興亡する。このトルコとは、今日の東欧・小アジアのトルコではなく、シャー・ナーメの中でトゥーラーンとしたペルシア東方の国、つまり、フェリードゥーン王がトゥールに与えた国のことである。このようにペルシアはまずアラビア半島から興ったイスラーム・アラブ勢力下に入ったあと、次に東方から興ったトルコ・モンゴルという民族大移動の大きな影響を受けることになった。

サーサーン朝ペルシアがアラブの侵攻で倒れて三百数十年、『シャー・ナーメ』は現イランの北東部マシュハドの近くの村にすむ詩人郷土の手で書かれた。

ペルシア高揚の精神を盛った『シャー・ナーメ』は、30年余りにも及ぶフェルドゥスィーの努力によって完成したが、こうした試みは彼以前にもいくつかみられる[5]。フェルドゥスィーが『シャー・ナーメ』の完成にあたり、用いた資料として、@トゥースの大守アブー・マンスールの命令で編纂された散文作品、Aダギーギーによる詩が挙げられる[4]
ゾロアスター教:二元の宇宙論

『シャー・ナーメ』には、「善悪二元論」の世界観が根底にある[4]ゾロアスター教は、大初、光は上方にあり、光は善にして神、闇は下方にあり、闇は悪にして魔神という考え方である。暗黒をさまよううち、魔神は光を認め、破壊の本能に従い攻撃を開始する。善神は次のように考えた。「悪が絶え間なく永遠に活動すれば、世界は分裂し破壊にいたることもありうる。」そこ善神は、光と闇の戦に3000年ずつ3期の起源を設けることを提案し、悪神はそれに同意し闇の世界に戻った。ゾロアスター神話では、宇宙開闢からこの3000年・3期の提案までにすでに3000年が経過している。つまり世界の初めから終末、最後の審判と復活までに3000年ずつ4期の合計12000年が算定されているのである。

第一の3000年期が終わると、第二の3000年期の第一年目、善神アフラ・マズダーは光の世界に創造物を表していくが、悪神アフリーマンは闇の底に無意識のまま眠っていた。神は輝く金属または石のような硬い物質で、まず天空を創造する。神の第二の創造は水である。星の領域にある山の頂に泉があらわれ、流れ出た水が宇宙の大海ウォルカシャに注がれる。第三の創造は大地であった。ウォルカシャ海に巨大な島のようにあらわれた大地は円盤状をなし、その数は6とも7とも言われる。まだ生物のいない原初の大地は山もなく平坦で、時のながれもないかのように平穏であった。神の創造の第四の創造は植物、第五は動物、そして最後が人間であった。天空から始まったアフラ・マズダーの創造がこれで終わった。ここまでで一年以上が経過している。被造物は全て理想の状態にあり、木に棘はなく、苦い実をつけない。最初の動物は、月のように輝く白い牛であった。そして最初の人間は太陽のように輝き、3000年を安らかに生きた。彼らは何も食べず、動かず、老衰を知らなかった。

しかし悪神アフリーマンが暗闇の睡りから目覚め活動を開始する第三の3000年期に、平和は破られる。深い無意識の睡りからアフリーマンを目覚めさせたのは、悪の化身ジャヒーであった。彼女は悪神にいう。「人間と牛に苦悩の味を知らしめ、この世が生きるに値しないことを思い知らせてやりましょう。」

闇の世界のあらゆる悪魔たちが集められ、第3期3000年の攻撃が始まった。邪悪の軍勢が地表を覆い、大地は激しく震撼する。太陽・月・星々は天空に固定され地上に平穏な光を注いでいたが、悪の騒乱に揺り動かされて穹窿を廻り始めた。貪欲・病気・飢餓、無気力が人間と牛を苦しめ、秩序は混沌に、真実は虚偽に変わり、悪神アフリーマンが勝利し闇が光を覆うかと思われる。勝ち誇った悪の軍団が暗黒の本土に戻ろうとした時、甲冑を着た精霊の大軍がその行き先を遮り、透明の硬貨の円盤を上方にかけた。悪は、この善の天空の下から逃れられない。いわば魔神たちを閉じ込めたこの世に再び生命が蘇る。死んだ原始の牛の四肢から穀物と薬草が、原始人間の精液から大黄草が芽生えてくる。互いに絡み合い成長するこの草は人間の兄妹であり、彼らの交わりから人類は増殖していく。この世に死が行き渡るかと見えたが、死から生が蘇ったのである。

悪の攻撃から始められた第3期3000年の間、善と悪との抗争は続き、文明初期の社会にまでくる。そしてこの二元論宗教の教祖ゾロアスターは紀元前1000年または600年頃に生きた。彼の死後、1000年ごとに救世主が現れ、最後の救世主は処女懐胎によって生まれ、彼によって完き善が到来した。病と死が絶え、死者は復活し最後の審判を受ける。そこでは天国に行く者も、地獄に堕ちる者もいた。アフリーマンは地獄に逃亡し、彼がこの世に出てくるために作った穴が塞がれた。大地は平坦になり、人間の魂と肉体の理想的統一、悪が侵入する以前の完全な状態に戻った。

このような二元の思想は、アッラーを唯一神とするイスラームの原理とは一致しない。しかし、『シャー・ナーメ』にこういった世界観があらわれているように、ペルシアの地に生まれた人々の心からこの伝統的感情は消し難いものといえる[4]
後代への影響

後代への影響としては、11世紀セルジューク朝に仕えたイラン人宰相ニザームルムルク(ニザーム・アルムルク)が、自著の『統治の書』(スィヤーサト・ナーメ)において、模範的君主として『シャー・ナーメ』に収載された伝説上の英雄も取り上げて統治の要諦を説き、その一方で、トルコ人王朝であるセルジューク朝の由来を『シャー・ナーメ』に登場するアフラースィヤーブにまでさかのぼると説明していることが挙げられる[6]。文人としても名高いイラン人ニザームルムルクにとって『シャー・ナーメ』はそれだけ身近な作品であっただけでなく、イラン的世界とトルコ的世界とを結びつけようという彼の意図をそこに看取することができるのである[6]

また、12世紀末にセルジューク朝最後の君主トゥグリル3世に仕えた歴史家ラーヴァンディー Mu?ammad b. ?Al? b. Sulayman al-Ravand? の『胸臆の安息(歴史における胸臆の安息と喜悦の表象 R??at al-?ud?r, R??at al-?ud?r wa ?yat al-Sur?r dar Ta'r?kh)』(トゥグリル3世の死後の1202年に執筆を始め、1207年にルーム・セルジューク朝カイ・ホスロー1世に献呈された)[7]は、セルジューク朝関係資料のひとつとして知られるが、アラビア語警句ハディース(ムハンマドの言行録)、『クルアーン』の引用のほか、『シャー・ナーメ』が引用されている[8]


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