シャー・ジャハーン
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祖父帝アクバルの治世以来、ムガル帝国はデカン地方に介入するようになっていたため、フッラムは若年にしてデカンへの遠征にも派遣され、宮廷を離れることもしばしばだった[5]
デカン地方への遠征と父帝への反乱シャー・ジャハーン

デカン地方には、アフマドナガル王国がアクバル時代の攻撃で弱体化して存続していたが、同国の宰相で武将マリク・アンバルが王国の復興に尽力していた。マリク・アンバルはムガル帝国に抵抗し続け、その圧迫が強まると、1610年に首都をパランダーからダウラターバードに移し、カドキー(カルキー)を補助的な拠点とし、王国の領土回復を試みた。

これに対し、1616年にフッラムは5万の兵とともにデカンに派遣された。1617年に彼はマリク・アンバルと領土分割の協定を結び、アフマドナガルの城塞を引き渡され、150万ルピーの賠償金を受け取った[6]

しかし、フッラムの帰還後、マリク・アンバルは軍を再組織し、ビジャープル王国ゴールコンダ王国などの支援も得て、1619年にこの協定を破って再びムガル帝国との戦争を行いはじめた[6]。マリク・アンバルは兵力を6万にまでに回復し、帝国軍と戦って地方単位で領土を奪還し、王国の全領土の回復に成功した。このため、フッラムは再びデカンに派遣されることとなったが、病状の悪化しつつある父の跡目をめぐる争いに気を取られ、アーグラへの帰還を焦っていた。マリク・アンバルもまた負け戦になることを悟ったため、賠償金を再び払った上で自らの領土を返却し、フッラムはアーグラへと帰還した[7]

1620年、マリク・アンバルとビジャープル王国が同盟して抵抗に反抗すると、フッラムはデカン地方に遠征した。ビジャープル王国は途中で帝国に寝返り、マリク・アンバルに対抗するための援助を代償に臣従を申し出た[7]

1621年、フッラムはデカン地方への出陣を命じられたが、彼は盲目の兄フスローを引き渡さなければ出陣しないと言い張り、結局兄を伴って出陣した[5][8]。フッラムはビジャープル王国とゴールコンダ王国に勝利し、200万ルピーにも上る賠償金を得て(これらの大半を支払ったのはゴールコンダ王国だった)、大いに名声を獲得した。そして、彼はそれに乗じて、1622年1月26日に牢獄に閉じ込めていた兄フスローを殺害した[9]

だが、同年にサファヴィー朝カンダハールを占領すると、弟シャフリヤールにその奪還遠征の命令が下され、同時にフッラムの領地の地代の一部が彼に与えられることになった[5]。フッラムはこれに対して父帝に反乱を起こし、アーグラに向かって出陣した。ジャハーンギールはこの反乱を知ると、「フッラムは自分の息子」ではないと名で言い放った[10]。フッラムはアーグラにまで進まなかったものの、ファテープル・シークリーにまでは進軍した[10]

たが、フッラムは帝国の武将マハーバト・ハーンの軍に敗れ、その後は皇帝軍の攻撃に苦しめられた。かつての敵であるマリク・アンバルに援助を得ることに成功したが、依然としてその立場は難しく、1626年にフッラムは降伏した[5]。このとき、彼は皇帝に豪奢な贈り物をしたが、皇帝が決定した条件も飲まされ、デカンにとどまることを要求されたばかりか、二人の息子ダーラー・シコーアウラングゼーブを宮廷に人質として送った[5][8]
父帝の崩御と即位シャー・ジャハーンの即位式

同年にマハーバト・ハーンはクーデターにより、ジャハーンギールとヌール・ジャハーンの身柄を手中に収めた[11]。だが、非情になることが出来ず、そればかりか逆にヌール・ジャハーンの軍門に下ってしまった。

その間、同年10月18日に兄パルヴィーズが薨去し、皇位継承者はフッラムとシャフリヤールの2人となった[11][12]。その頃、フッラムはサファヴィー朝の君主アッバース1世のもとに亡命しようとイランへと向かっていたが、デカン地方に戻っていたが、パルヴィーズの薨去がその時もたらされた[11]

フッラムとマハーバト・ハーンとの間に次の権力闘争が生じたが、マハーバト・ハーンは結果的にフッラムの側に付いた[13][11]。ヌール・ジャハーンはこれを機に2人を排除しようとしたが、同年10月28日に皇帝ジャハーンギールがカシミールからパンジャーブラホールへ向かう途中死亡し、継承争いも終盤を迎えた[13][11]

フッラムとシャフリヤールはそれぞれ父ジャハーンギールの死に目に居合わせておらず、居合わせたのはヌール・ジャハーンとアーサフ・ハーンだけであった[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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