シャープ
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1963年 - 太陽電池の量産を開始。なお、一般の電池(乾電池二次電池など)は生産していない。

1964年 - オールトランジスタダイオードによる電子式卓上計算機(世界初)を開発。その後のカシオなどとの電卓戦争の中で、表示部品としての液晶技術の開発を始め、1973年、液晶を表示装置に使ったCMOS電卓(世界初)を開発。この経験から「液晶のシャープ」と呼ばれる事につながっている。

1970年1月1日 - 社名をシャープ株式会社に変更。シンボルマークをリニューアル。なお、早川電機時代のシンボルマーク(楕円形にSharp)は社名変更後も正式な社章として引き継がれた。

2016年

4月2日 - 台湾に本拠を置く鴻海精密工業が3分の2弱の株式を取得し子会社となる[5]

7月1日 - 長年本社であった大阪市阿倍野区から、工場がある堺市堺区へ本社を移転した[6][7]シャープ旧本社ビル(現在は解体)


他にシャープが得意とする製品としてはファクシミリ、パソコン並みにモデルチェンジをする電子辞書、電子レンジ、近年ではコピーなどの複合機、カシオと競い合う電卓、更に液晶テレビAQUOS、そこから発展したAQUOS携帯電話などユニークな製品がラインナップされている。

さらに、2009年からはLED電球の発売により家庭用照明事業にも参入している。

なお、液晶事業への投資増もあり、半導体事業はCCDなどのイメージセンサーや画像処理LSI、液晶駆動用LSIなどに集約されている。

2017年

12月1日 - 世界初の8K液晶テレビ、"Aquos 8K"発売。

12月7日 - 東京証券取引所1部に復帰。


2020年

3月 - 新型コロナウイルス感染症 (2019年)等に伴うマスクの不足に対する対応として、月内に三重工場でマスクの生産を開始する[8]


2024年

5月 - テレビ向け液晶パネルの生産を年内で停止する事を発表[9]。併せて中小型液晶パネルについても生産の縮小を行う。


経営理念・経営信条

以下はシャープ公式サイト掲載の「経営理念/経営信条」[10] を主に参照している。シャープ(株)を始め関係会社の朝礼で経営信条の唱和が行われていた。
経営理念

いたずらに規模のみを追わず、誠意と独自の技術をもって広く世界の文化と福祉の向上に貢献する。

会社に働く人々の能力開発と生活福祉の向上に努め、会社の発展と一人一人の幸せとの一致をはかる。

株主、取引先をはじめ、全ての協力者との相互繁栄を期す。

経営信条[11]

二意専心 誠意と創意

この二意に溢れる仕事こそ、人々に心からの満足と喜びをもたらし真に社会への貢献となる。


誠意は人の道なり、すべての仕事にまごころを

和は力なり、共に信じて結束を

礼儀は美なり、互いに感謝と尊敬を

創意は進歩なり、常に工夫と改善を

勇気は生き甲斐の源なり、進んで取り組め困難に

歴代社長

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出典検索?: "シャープ" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2022年5月)


初代社長(1912-1970) 早川徳次

2代目社長(1970-1986)佐伯旭

3代目社長(1986-1998)辻晴雄

4代目社長(1998-2007)町田勝彦

5代目社長(2007-2012)片山幹雄

6代目社長(2012-2013)奥田隆司

7代目社長(2013-2016)高橋興三

8代目社長(2016-2020)戴正呉

9代目社長(2020-2022)野村勝明

10代目社長(2022-)呉柏勲

沿革[疑問点ノート]

この節の加筆が望まれています。

以下は主に「 ⇒シャープ100年史」を参考に記述。

1912年大正元年)9月15日 - 東京府東京市本所区松井町(現・東京都江東区新大橋)において、創業者の早川徳次が金属加工業を創業。「徳尾錠」の製作販売を開始[12]。資本金50円、3人でスタート[12]

1924年(大正13年)9月 - 前年(大正12年)にあった関東大震災で家族を亡くして、工場が全焼した影響から、大阪府東成郡田辺町大字猿山(現・大阪市阿倍野区長池町)に本社を移転、早川金属工業研究所を設立。

1925年(大正14年) - 国産第1号鉱石ラジオ受信機の組み立てに成功し、量産・販売を開始(価格3円50銭[12])。同時にラジオ部品も販売[12]

1929年昭和4年) - 交流真空管ラジオを発売。

1931年(昭和6年) - 電波研究室を設置、テレビ研究に着手[12]

1934年(昭和9年) - 平野工場を建設。

1935年(昭和10年)5月1日 - 株式会社早川金属工業研究所を設立、法人組織となる。資本金30万円。

1936年(昭和11年) - 早川金属工業株式会社に社名変更。

1941年(昭和16年) - 陸軍航空本部監督工場となる[12]。押しボタン選局式の5球スーパーラジオ SB-500 を発売[12]

1942年(昭和17年) - 早川電機工業株式会社に社名変更。短波超短波の研究のため新研究所を設立[12]航空無線機の生産開始[12]ライトハウス戦傷失明者工場を分工場にする[12]

1944年(昭和19年) - 軍需会社に指定される[12]海軍監督工場に再指定される[12]

1946年(昭和21年) - 特別経理会社に指定される。

1949年(昭和24年) - 特別経理会社の指定を解除される。大阪証券取引所に株式を上場。

1950年(昭和25年) - 失明者工場を法人化、合資会社特選金属工場(現 シャープ特選工業株式会社)を設立。

1951年(昭和26年) - テレビの試作に成功。


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