また、アントニオ=モロシーニの年代記に次のような記述がある。王太子(シャルル7世)は、ブルゴーニュ公に特使を送った。その特使による申し入れは、ブルゴーニュ公がジャンヌをイングランド軍に引き渡した場合、王太子側の捕虜になっているブルゴーニュ派に対しても同様の扱いをするという脅迫紛いのものであった[4]。
これが事実ならジャンヌを助けられなかったのは事実であるが、まったく何もしなかったわけではないようである。 フランスの研究者が2004年秋に、シャルル7世の愛妾であり宮廷に影響力を振っていたアニェス・ソレルの遺骨などを調べたところ、高濃度の水銀が検出されたことを発表した。当時は薬として使われることが多かったが、薬にしては服用量が多すぎるため毒殺と判断された。 ソレルは、それまで男性にのみ使われていた宝石ダイヤモンドを女性として初めて身に着けた人物である。 一介の羊飼いであるジャンヌ・ダルクの起用を英断して、危機的状況から勝利により百年戦争を終結させた功績にもかかわらず、戯曲や創作物などでは暗愚な国王として描かれることが多い。これは本来共闘すべき存在であったジャン無怖公を暗殺してブルゴーニュ派を敵に回したり、ジャンヌが自分の国を守ろうと戦ったがためにブルゴーニュ派の手に落ちた際、多額の身代金を惜しみ、見殺しにしてしまったことなどの影響と見られる。 ただ、シャルル7世が百年戦争によって荒廃したフランスを復興させた功績を忘れるべきではない。 「彼はその死に臨み、フランス王国をクローヴィス以来ともいえるほど平和で正義と秩序に満ちたものにしていった」(ルイ12世までの年代記略 パリ国立図書館所蔵フランス語写本第4954番より)[5] 王妃マリー・ダンジューとの間に12人の子女をもうけた。 また愛妾アニェス・ソレルとの間に3人の庶出の娘があった。
愛妾の死に関する疑惑
総括
子女
ルイ11世(1423年 - 1483年) - フランス王
ジャン(1424年 - 1425年)
ラドゴンド(1428年 - 1444年) - 1430年、オーストリア大公ジークムントと婚約
カトリーヌ(1428年 - 1446年) - 1440年、ブルゴーニュ公シャルル(突進公)と結婚
ジャック(1432年 - 1437年)
ヨランド(1434年 - 1478年) - 1452年、サヴォイア公アメデーオ9世と結婚
ジャンヌ(1435年 - 1482年) - 1452年、ブルボン公ジャン2世と結婚
マルグリット(1437年 - 1438年)
マリー(1438年 - 1439年)
ジャンヌ(1438年 - 1446年)
マドレーヌ(1443年 - 1486年) - 1462年、ビアナ公ガストンと結婚
シャルル(1446年 - 1472年) - ベリー公
マリー(1444年 - 1473年) - 1458年、タイユブール伯オリヴィエ・ド・コーティヴィと結婚
シャルロット(1446年 - 1477年) - 1462年、モレヴリエ伯ジャック・ド・ブレゼ(ピエール・ド・ブレゼの子)と結婚
ジャンヌ(1448年 - 1467年) - 1461年、サンセール伯アントワーヌ・ド・ビュエイユと結婚
シャルル七世が登場する作品
映画
ジャンヌ・ダーク (1948年・アメリカ、演:ホセ・フェラー)
聖女ジャンヌ・ダーク (1957年・英米合作、演:リチャード・ウィドマーク)
ジャンヌ 愛と自由の天使/ジャンヌ 薔薇の十字架
ジャンヌ・ダルク (1999年・米仏合作、演:ジョン・マルコヴィッチ)
ジャンヌ(フランス語版)(2019年・フランス、演:ファブリス・ルキーニ)
テレビドラマ
ヴァージン・ブレイド ジャンヌ・ダルクの真実 (1999年・カナダ、演:ニール・パトリック・ハリス)
漫画
山岸凉子 『レベレーション(啓示)』講談社、週刊モーニング、2014年 - 2020年
岡児志太郎 『デゾルドル』講談社、月刊モーニングtwo、2017年-連載中
脚注[脚注の使い方]^ 『シャルル7世』 - コトバンク
^ レジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン 福本直之訳 『ジャンヌ・ダルク』 東京書籍 1992年 p.308,309
^ レジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン 福本直之訳 『ジャンヌ・ダルク』 東京書籍 1992年 p.316
^ 堀越孝一 「ジャンヌ=ダルクの百年戦争」清水書院 1984年 p.184
^ レジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン 福本直之訳 『ジャンヌ・ダルク』 東京書籍 1992年 p.299
外部リンク
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先代
シャルル6世フランス国王
1422年 - 1461年次代
ルイ11世
先代
ジャン2世ベリー公
1417年 - 1422年
(シャルル1世)次代
王領編入
(シャルル2世)
表
話
編
歴
フランス君主
カロリング朝
シャルル2世 843-877
ルイ2世 877-879
ルイ3世 879-882
カルロマン2世 879-884
シャルル肥満王 885-888