シャフリサブス
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1405年に完成した往時のアク・サライ宮の入り口には50mほどの塔が建ち[15]、屋上にはプールが設置されていた[14]。現在では、宮殿は崩壊し、現存する2つの塔も崩れて38mの高さになっている[15]。塔の内側は青と金色のタイル、装飾が落ちて露出したレンガがモザイク状になって壁面を飾っている[15]。アク・サライ宮の上部には、「もしも、汝我が権力に挑むならば、この建物を見よ」という文字が述べられている。また、伝承によると、塔の左側には「スルタンはアラーの影である」、右側には「スルタンは影である」( 関治晃『ウズベキスタン シルクロードのオアシス』(東方出版, 2000年10月)、90頁より引用)と書かれ、右の塔の文で「アラー」の文字が抜かされていることに激怒したティムールは、職人を門の上から投げ落としたという[15]


ドルッテイロヴァット(瞑想の家)の建築群 - ティムールの孫ウルグ・ベクによって統合された建築物群[8]

金曜モスク - 1435年[16]にウルグ・ベクが父シャー・ルフを偲ぶために建設した金曜モスクは、コク・グンバッズ・モスク(青色のドームを持つモスク)の名前で知られている。内部の壁面は、近世に修復されたフレスコ画で彩られている[17]

グンヴァズイ・サイダーン廟 - 1437年から1438年の間にウルグ・ベクによって、一族の墓所として建立された[8]。廟内部の一番奥にあるコクダッシュ(青い石)という墓石には病気を治す効力があると信じられており、拝観者たちが石を触っていくために、石の表面には窪みができている[18]

シャムスッディーン・クラール廟 - 1374年にティムールが父タラガイと、ティムール親子が師事したスーフィーの聖者シャムスッディーン・クラール[16]のために建てた墓所[19]。最初タラガイの墓はキシュ近郊に建てられていたが、ティムールは安定した政権を築いた後、キシュに父の墓を移した[20]

Dorussiadat

権力の霊廟(ジャハーンギール廟) - Dorussiadatと呼ばれる権力の霊廟がコク・グンバッズ・モスクの傍らにある。1392年に建立された[19]この霊廟にはティムールが最も寵愛した王子ジャハーンギールが眠る。隣接するモスクは、8世紀イラクから来たイマームのハザーリーの墓と言い伝えられている。


ティムールの墓 - ハザーリーの傍らに、地下室へ続く壕が1943年に考古学調査で発見された。墓室は、一枚岩でできており、ティムールの墓の描写を指し示すものであった。しかし、ティムールは、サマルカンドに埋葬されているはずであり、シャフリサブスに埋葬はされていない。そういった点では不思議が残るものであり、シャフリサブスにあるティムールの墓には、2体の特定できない遺体が埋葬されてあった。

また、シャフリサブスでは、中世の浴場18世紀バザールの跡も発見されている。
登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。

(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

危機遺産

2016年の第40回世界遺産委員会では、観光方面での過度の開発などが問題視され、危機にさらされている世界遺産(危機遺産)リストに登録された[21]
脚注^ “デジタル大辞泉の解説”. コトバンク. 2018年5月13日閲覧。
^ 加藤『ティームール朝成立史の研究』、166-167頁
^ 加藤『ティームール朝成立史の研究』、168頁
^ a b c d e 加藤『ティームール朝成立史の研究』、166頁
^ a b c d e 木村「シャフリサブズ」『中央ユーラシアを知る事典』、240頁
^ 加藤『ティームール朝成立史の研究』、167-168頁
^ 加藤『ティームール朝成立史の研究』、171頁
^ a b c 加藤『ティームール朝成立史の研究』、174頁
^ ラフマナリエフ「チムールの帝国」『アイハヌム 2008』、61-62頁


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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