シャフリサブス
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

ティムールは建国当初シャフリサブスを首都に定めることを考えたが、立地と冬季の交通の便の悪さのため、サマルカンドを首都に据えた[13]

16世紀にティムール朝に代わってマー・ワラー・アンナフルに成立したブハラ・ハン国シャイバーニー朝)の指導者アブドゥッラーフ2世は、シャフリサブスの大部分を破壊した[14]。伝説によると、アブドゥッラーが町を破壊したのは、シャフリサブスの攻略の際に急な坂道を登る際に、疲労で愛馬が死んだがゆえにその怒りが町に向けられたが、後に彼は、自らの破壊行為に対して、自責の念に駆られたということである。

当初はシャイバーニー王家がシャフリサブスを統治していたが、17世紀末よりシャフリサブスの統治権はウズベクのケネゲス部に移る[5]。ケネゲス部はシャフリサブスとキタブを拠点として同じウズベクのマンギト部と争い、ブハラ・ハン国でマンギト部の政権が成立した後も自治権闘争を展開した[5]1870年にシャフリサブスはロシア帝国によってロジア保護下のブハラに併合されたが[5]、その理由はツァーリの徴税請負人をシャフリサブスの住民が殺害したかどによる。

ソビエト連邦崩壊後にウズベキスタン共和国が独立すると、ティムールの再評価に伴って、ティムールの故郷としての観光都市化が政府によって進められている[5]
産業

ワイン、陶製品が多く生産されている[14]。また、シャフリサブスには刺繍工場も置かれている[14]
世界遺産
主要建築物

シャフリサブスには、ティムール朝時代以降の印象的な建築物が残っている。このことが評価され、ユネスコの世界遺産に登録された。その代表的なものを挙げる。アク・サライ宮の門

アクサライ宮殿 - ティムールの夏の王宮。またの名を白い宮殿と呼ばれるアク・サライ宮は、ティムールの建築物の中でも最も雄大である。1380年に征服したばかりのホラズム地方の職人をシャフリサブスに強制移住させ、建設が開始された[11]1405年に完成した往時のアク・サライ宮の入り口には50mほどの塔が建ち[15]、屋上にはプールが設置されていた[14]。現在では、宮殿は崩壊し、現存する2つの塔も崩れて38mの高さになっている[15]。塔の内側は青と金色のタイル、装飾が落ちて露出したレンガがモザイク状になって壁面を飾っている[15]。アク・サライ宮の上部には、「もしも、汝我が権力に挑むならば、この建物を見よ」という文字が述べられている。また、伝承によると、塔の左側には「スルタンはアラーの影である」、右側には「スルタンは影である」( 関治晃『ウズベキスタン シルクロードのオアシス』(東方出版, 2000年10月)、90頁より引用)と書かれ、右の塔の文で「アラー」の文字が抜かされていることに激怒したティムールは、職人を門の上から投げ落としたという[15]


ドルッテイロヴァット(瞑想の家)の建築群 - ティムールの孫ウルグ・ベクによって統合された建築物群[8]

金曜モスク - 1435年[16]にウルグ・ベクが父シャー・ルフを偲ぶために建設した金曜モスクは、コク・グンバッズ・モスク(青色のドームを持つモスク)の名前で知られている。内部の壁面は、近世に修復されたフレスコ画で彩られている[17]

グンヴァズイ・サイダーン廟 - 1437年から1438年の間にウルグ・ベクによって、一族の墓所として建立された[8]。廟内部の一番奥にあるコクダッシュ(青い石)という墓石には病気を治す効力があると信じられており、拝観者たちが石を触っていくために、石の表面には窪みができている[18]

シャムスッディーン・クラール廟 - 1374年にティムールが父タラガイと、ティムール親子が師事したスーフィーの聖者シャムスッディーン・クラール[16]のために建てた墓所[19]。最初タラガイの墓はキシュ近郊に建てられていたが、ティムールは安定した政権を築いた後、キシュに父の墓を移した[20]

Dorussiadat

権力の霊廟(ジャハーンギール廟) - Dorussiadatと呼ばれる権力の霊廟がコク・グンバッズ・モスクの傍らにある。1392年に建立された[19]この霊廟にはティムールが最も寵愛した王子ジャハーンギールが眠る。隣接するモスクは、8世紀イラクから来たイマームのハザーリーの墓と言い伝えられている。


ティムールの墓 - ハザーリーの傍らに、地下室へ続く壕が1943年に考古学調査で発見された。墓室は、一枚岩でできており、ティムールの墓の描写を指し示すものであった。しかし、ティムールは、サマルカンドに埋葬されているはずであり、シャフリサブスに埋葬はされていない。そういった点では不思議が残るものであり、シャフリサブスにあるティムールの墓には、2体の特定できない遺体が埋葬されてあった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:34 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef