シャキール・オニール
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シャック(Shaq)の愛称で知られ、全盛期にはNBA史上最も支配的なプレイヤーと称され、歴代最高のセンターの一人と考えられている[3][4][5][6]。巨漢の集まるバスケットボール選手の中でも、身長7 ft 1 in (2.16 m)、体重が325 pounds (147 kg)と規格外の体格をもつ選手であり、NBA史上最も体重の重い選手である[7]
生い立ち

「Shaquille Rashaun(シャキール・ラシャウン)」とは、アラビア語で「小さな勇士」という意味だと本人は語っている[8]

実の父ジョセフ・トーニーは高校時代からバスケットボールのスター選手で、シートン・ホール大学に進学したが薬物中毒で途中退学し、1972年12月には麻薬購入のために小切手を偽造した罪で連邦刑務所に収監された。そのため母ルシールは幼いオニールを連れ、フィリップ・ハリソンと再婚する。それから今日までオニールはフィリップを本当の父親と考えている(後に姿を現したトーニーはインタビュアーに「テレビでプレ・オールスターゲームを見るまで息子の行方が分からなかった」と話した。トーニーは1993年オーランド・マジックニュージャージー・ネッツの試合後にオニールに会うだろうと語ったが、オニールは現れなかった。トーニーは2002年の時点でニューアークの施設に住んでいたが、オニールは彼に会う考えはないと語っている)。
NBA
オーランド・マジック

1992年のNBAドラフトルイジアナ州立大学からオーランド・マジックに全体1位で指名されオニールはNBA入りを果たす。ルーキー・イヤーからバスケットのゴールをダンクシュートで2度も破壊(英語版)(1度はリングをもぎ取りボードが粉々になった)するというパフォーマンスを見せ、改めてその怪物ぶりを示している(因みに両試合ともテレビで全米中継されていた。また、これが原因で現在のボードとリングの接合部は、過重を吸収するショックアブソーバー機能を持たせたバネ結合に改良された)。チームを41勝41敗と勝率5割に導いたものの1勝差でプレイオフ進出を逃した。ルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人王)を受賞し、華々しいスタートを切った。

1993-94シーズン、アンファニー・ハーダウェイトレードでマジックに加入した。オニールを中心にマジックはチームとして機能し始め、球団初のプレイオフ進出を果たした。また、オフにはシャック・ディーゼルの名でラップのCDをリリースし、チームメートのアンファニー・ハーダウェイおよびニック・ノルティと共に映画『Blue Chips』に出演してハリウッドデビューを果たした。

1994-95シーズン、マジックに新たにホーレス・グラントが加わりオニールは毎試合インサイドを牛耳るようになり、前年逃した得点王の座についた。オニールとスーパースターに成長を遂げたハーダウェイとのコンビは「マジック・ジョンソンカリーム・アブドゥル=ジャバー以来の強力デュオ」といわれた。オニールはチームをイースタン・カンファレンス最高勝率に導き、プレイオフでのホームコートアドバンテージを獲得した。そしてチームを初のNBAファイナルへと進出させることに貢献した。だが、ファイナルではアキーム・オラジュワンクライド・ドレクスラーを擁するヒューストン・ロケッツの前に1勝も出来ずに敗退した。オニールはオラジュワンにベテランとしての上手さを見せ付けられた。それでも復帰したばかりとはいえマイケル・ジョーダンのいるシカゴ・ブルズをカンファレンス準決勝で破りファイナルに出場したことはオニールに取って大きな経験となり、NBAにとっても新たな時代を予感させる出来事であった。

1995-96シーズン、オニールは28試合を欠場するが、その間にハーダウェイが目覚しい活躍を見せマジックは勝ち星を積み重ねていた。ハーダウェイがオニールを上回る契約をマジックと交わしていたこともあり、この辺りから二人の不仲が徐々に表面化し始める。チームは2年連続で地区優勝を果たしプレイオフで再びブルズと対戦したが、今回は全く歯が立たずに敗退、オフにフリーエージェントとなったオニールは、ロサンゼルス・レイカーズへ移籍した。
ロサンゼルス・レイカーズ2000年のNBAファイナルのオニール

1996年オフ、オニールは7年間1億2000万ドルという契約でロサンゼルス・レイカーズに入団した(オニールは昔からレイカーズのファンだった)。レイカーズはオニールを含め複数のオールスター選手を抱えるチームだったが、オニールの唯我独尊のスタイルは相変わらずで、同じ年に入団したコービー・ブライアントとの確執も度々取り沙汰されるようになり、彼が移籍してから3年の間はファイナル進出はほど遠い状態だった。

1999年オフ、チームがフィル・ジャクソンをヘッド・コーチに迎えるとレイカーズはオニールを主軸にトライアングル・オフェンスを布いて一気にウェスタンカンファレンス屈指の強豪へと生まれ変わった。オニール自身もチームプレーヤーへと変貌、1999-2000シーズンはチームを破竹の連勝に導きホームコート・アドバンテージを獲得する。プレイオフでは勝負強い試合運びを見せ、遂に念願のNBAチャンピオンとなる。オニールはこの年、レギュラー・シーズン、オールスター、ファイナル全てのMVPを独占している。アメリカ合衆国第43代大統領ジョージ・W・ブッシュと握手を交わすシャキール・オニール(手前左) - 2002年1月28日, ホワイトハウスのEast Roomにて


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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