極地砂漠 ツンドラ 高山ツンドラ タイガ 亜高山帯針葉樹林 落葉広葉樹林
ステップ 乾燥ステップ
緯度が高く、冬季の気温は非常に低い。早いところでは8月下旬に降雪を見る。オイミャコンでは-73度という人間が居住可能な場所における最低気温を記録している。一方、夏季は30度以上まで気温が上昇することがあるという、いわゆる大陸性気候である。特に、シベリア東部の内陸盆地では夏季はきびしい暑さとなることがあり、年間の温度差は極端に大きい。冬の日本列島の天気を支配するシベリア寒気団は、夜間の放射冷却による極寒気がシベリアに蓄積され、そこから吹き出すと考えられている。
植生は、タイガと呼ばれる針葉樹を中心とした広大な森林地帯が大半を占める。より緯度の高い地域は地衣類を中心としたツンドラと呼ばれる植生であり、樹木は生育しなくなる。地下には厚い永久凍土層が広範囲にわたって存在する。鉱物資源は非常に豊富で、資源の宝庫とされる。しかし近年、森林火災[6]や開発の行き過ぎ、地球温暖化などによる環境破壊が問題になっている。動物はアムールヒョウ[7]、ソデグロヅル、ヤクートウマ、ジャコウジカ、ホオジロガモなどが生息している。
大河は西から順に、オビ川・エニセイ川・レナ川の3本があり、いずれも北に流れている。夏期は河川運輸が活発だが、冬季には凍結し、トラック輸送に利用される。
世界最深の湖で世界遺産のバイカル湖がある。バイカル湖の水温は夏でも10℃以下となる。航空機から見た東シベリア平原 シベリアには旧石器時代、現在から5万年ほど前から人が住んでいた。当時生きていたマンモスの狩猟も行っていたと考えられている。一部の人々は1万年ほど前までにベーリング地峡(現在のベーリング海峡)を渡り、アメリカ先住民の祖先となった。イヌイットなどエスキモーの祖先は、さらにその後シベリアからアメリカ大陸・グリーンランドへ渡ったとされる。 紀元前2000年紀前半に入ると、シベリア南部でも牧畜が盛んになり、またシベリア独自の文化も生まれた。その後南部では遊牧的な生活様式に移行したとみられ、特に南方の匈奴文化の影響のもとにスキト=シベリア文化(パジリク文化やタガール文化)が生まれた。 中国の文献によれば、漢代に丁零がシベリア南部からモンゴルあたりに栄えたとされ、これはテュルク系民族と考えられている。6世紀には同じテュルク系の突厥がこのあたりに建国し、以後テュルク系遊牧民族は西方に広がったが、現在でもシベリアにはサハ人などテュルク系民族が多く住む。一方シベリア東部ではツングース系民族が、バイカル湖周辺ではモンゴル系民族(ブリヤート人)が広がった。古シベリア(古アジア)諸族と総称される人々も、今日ではごく少数にすぎないが、古くははるかに広い範囲に住んでいたと考えられている。 東部沿海地方・満洲方面のツングース系と見られる人々は周代から粛慎として文献に現れ、その後?婁・勿吉・靺鞨・女真といった名で長く記録を残している。靺鞨は満洲・沿海地方南部を中心とする渤海を、女真は金および清の王朝を築いて中国を支配した。中国三国時代の満洲方面にいた夫余の民族系統は不明であるが、彼らは朝鮮の高句麗・百済を築いた。 近世にはシベリア南部がモンゴル、次いで元朝やジョチ・ウルスに支配された。
アルタイ山脈のクチェルラ湖
バイカル湖にあるスヴィヤトイ・ノース半島
シベリアのタイガ
西シベリア平原南部を流れるヴァシュガン川
カムチャツカ半島のペトロパブロフスク・カムチャツキーから望むコリャーク火山
歴史
先史時代
遊牧文化