ソ連側(現ロシア政府)はこれまでに約4万1千人分の死者名簿を作成し、日本側に引き渡している[8]。従来、多く語られる場合の死者数は約6万人とされている。もともと関東軍の兵員が南方に移送されて大幅に減少し、それを満洲在留の民間邦人を召集して穴埋めしていったことが問題を分かりにくくしている。なお、アメリカの研究者ウイリアム・ニンモによれば、確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡者は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人が死亡したという[9][要ページ番号](ただし、この数は単なる満洲引揚途上あるいは引揚待ちの死者らとの区別が不明である。)。
シベリア抑留中にソ連の軍事法廷で日本人144人が銃殺刑の判決を受けたことが判明しており、うち33人への執行が確認されている(79人のその後は不明)[89][90]。
日本の厚生労働省は2019年(令和元年)現在でも、ロシア連邦などから提供された新たな資料を基に、旧ソ連や満洲での死亡が判明した日本人の氏名等の名簿更新を続けている[91]。 抑留初期の収容所には旧軍制度がそのまま持ち込まれた。旧軍時代の階級に基づいた待遇差差と将校特権が大手を振ってまかり通ったため、下級兵士は「兵隊地獄」と「強制労働地獄」の二重の苦しみの淵にあえぐことになった[92]。背景には、将校は国際法[93]によって、捕虜労働を免除が規定されていたことにある[92]。 シベリア抑留中の死亡率は、圧倒的に将校より下士官・兵卒が高い。元ジャーナリストの白井久也によれば「将校は旧軍時代と同様に、兵隊に対して宮城遥拝、軍人勅諭の奉唱、軍隊式の敬称・敬礼や当番兵サービスを強要、配給食料のピンハネを行い、些細なことで私的利裁の雨を降らした。揚げ句の果ては帯剣の代わりに棍棒を持って、作業現場で兵隊にノルマの超過達成を求める鬼のような現場監督と化し[92]」、そのことが下士官以下の死亡・未帰還率の高さに影響したのだと主張している。 国際法上、捕虜として抑留された国で働いた賃金と、捕虜の給養費は捕虜所属国の負担となっており、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}この慣習はハーグ陸戦条約などで確認されているが[要出典]、日本政府はハーグ会議でもこの規定採用に反対していた[94]。 シベリア抑留を巡っては、日本全国で4件の国家賠償訴訟が行われている。このうち、京都地裁では2009年(平成21年)10月28日に、「国による遺棄行為は認められない」などとして、原告の請求を棄却する判決が出された[95][96]。
収容所での待遇差・国際法
賃金未払い問題
国家賠償訴訟
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキニュースに関連記事があります。
シベリア抑留の国家賠償訴訟で原告側の請求棄却 - 京都地裁