シベリア抑留
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^ 現地の穀物としてコウリャンが多く出されたが、これは日本人にとって消化が悪く、生延びるために排泄した便の中にある未消化のコウリャンを洗って再度食べたという思い出話を語る者もいる。現在でこそ、腸内細菌の関係で民族により消化できない、消化しにくいものがあるということが知られているが、当時の日本人にもコウリャンが日本人には消化が悪いくらいの意識はあったようだが、そこまで歴然とした差があるとは思わず、まして現地住民らには信じられなかったのではないかと思われる。現代日本人にも牛乳を多く飲むと腹を下す者は多いが、当時はそもそも牛乳を多量に飲めるような日本人自体ほとんど無く、日本人側でもそういう発想がまずなかったのではないかということに注意する必要がある。
^ 一時は参院の引揚委員会が政府委員に照会する顛末もあった“第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第7号 昭和25年1月27日”. 国会図書館. 2023年5月27日閲覧。
^ そもそもの発端となるはずの1946年末から始まったソ連引揚において、GHQの要請によって引揚者調査の協力のために組まれた元陸軍高級副官らによる日本人顧問団は、頼まれもしないのに顧問協力の枠を超えて自ら直接に調査に当たり、『スパイらしい人物が多数混っているようだ』と米軍調査班に報告し、一笑に付されていたという。三田和夫『迎えにきたジープ』20世紀社、1955年、22-23頁。 
^ ロシアの英字紙『シベリアン・タイムズ』によると、元日本兵が現地のロシア人女性と結婚するのは珍しいことではなく、クラスノヤルスク地方のカンスクでは50人の元日本兵がロシア人女性と結婚したと言われている[84]

出典^ “Press Conference by Foreign Minister Fumio Kishida” (英語). Ministry of Foreign Affairs of Japan. 2023年8月27日閲覧。
^ 小柳ちひろ『女たちのシベリア抑留』文藝春秋、2019年
^ a b “採石場で強制労働、日本人捕虜1600人が犠牲 知られざる「モンゴル抑留」 跡地に資料館が開設(神戸新聞NEXT)”. Yahoo!ニュース. 2023年8月27日閲覧。
^ a b c INC, SANKEI DIGITAL (2023年8月23日). “実態解明や次世代への歴史継承を シベリア抑留者の追悼集会”. 産経ニュース. 2023年8月27日閲覧。
^ 中村百合子『赤い壁の穴』武蔵野書房、2月 1956。 
^ a b c シベリア抑留中死亡者に関する資料の調査について 厚生労働省(2022年8月23日閲覧)
^ 『ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料の公表(特定者の追加掲載)について』(プレスリリース)厚生労働省、2019年12月6日。https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_07975.html。2019年12月6日閲覧。 
^ a b 『「旧ソ連邦抑留中死亡者名簿」に係る未提供資料の提供を求めるためのロシア政府への情報提供について』(プレスリリース)厚生労働省、2009年3月6日。https://www.mhlw.go.jp/houdou/2009/03/h0306-1.html。2009年7月27日閲覧。 
^ a b ウイリアム・ニンモ、Nimmo, William F.『検証--シベリア抑留』加藤 隆、時事通信社、1991年。ISBN 4788791064NCID BN0600583X
^ 「衆議院議員鈴木宗男君提出エリツィン前ロシア大統領の逝去に関する質問に対する答弁書」(pdf)、衆議院、2007年5月11日、2011年8月7日閲覧。 
^ a b ニューズウィーク2022年12月13日, p. 35.
^ 「 ⇒シベリア抑留は「歪曲」 記憶遺産でロシア」『日本経済新聞』、2015年10月23日。2016年8月23日閲覧。
^ a b毎日新聞』朝刊2022年5月19日【迫る】知られざる戦後の悲劇:民間人ソ連に「置き去り」帰国かなわず46年(1面)および 「大陸で自由奪われ続け」「実態解明や救済進まず」(3面)2022年7月12日閲覧
^ 富田武『シベリア抑留者への鎮魂歌』人文書院、2月20日、173頁。
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