映画に結び付く動く映像や投影に関する試みは、シネマトグラフが開発される数世紀も前から行われており、そのような歴史は映画前史(英語版)と定義されている[26][27][28]。映画が誕生するために必要な研究領域には、以下の3つが挙げられる[27][28]。
スクリーンに映像を投影する装置(カメラ・オブスキュラ、幻灯など)
仮現運動により動きを再現する装置(フェナキスティスコープ、ソーマトロープなど)
写真の発明と連続写真の研究
これらの領域が長い間にわたり多くの人々により研究され、19世紀末に動く写真映像が実用可能な段階にまでもたらされると、アメリカやヨーロッパで何人もの発明家により動く写真映像装置が開発され、そのひとつとしてリュミエールのシネマトグラフが登場した[27][29][30]。そのためシネマトグラフはすべてリュミエール個人のアイデアだけで発明されたものではなく、それ以前の発明家たちによる多くの研究成果に基づいて開発されたものである[30]。サドゥールは「動く写真が誕生するためには、二十人ほどの発明家が必要であった。リュミエールは彼らの発見を採用し、それらを組み合わせ、またそれらを発展させること」でシネマトグラフを創り上げたと述べている[11]。これらの先行する研究成果の中でも、とくにシネマトグラフへの直接的な影響について言及されているものとして、以下の2つが挙げられる。
クロノフォトグラフィ
1882年にフランスの生理学者エティエンヌ=ジュール・マレーが考案したクロノフォトグラフィ(英語版)は、1枚の原板上に動物の動きの各段階を重ねて撮影する方法である[31]。マレーは撮影にガラス乾板を使用していたが、1888年には紙のロール・フィルムに切り替えた[32]。マレーのフィルム式クロノフォトグラフィのカメラは、レンズの前を通過するフィルムを瞬間的に停止させては露光するという間欠的な機構が使用されているが、それは今日までの映画用カメラの技術的原型と考えられており、その成果はシネマトグラフにインスピレーションを与えたとされている[30][32][33][34]。19世紀末にクロノフォトグラフィは動く写真映像の代名詞として広く使われたが、リュミエールも当初はシネマトグラフを新型のクロノフォトグラフィと位置付けていた[30][34]。また、マレーの助手のジョルジュ・ドゥメニー(フランス語版)も独自にクロノフォトグラフィ装置を考案していたが、リュミエールは1894年から1895年にかけてドゥメニーと手紙のやり取りをしていた[30][35]。このことから映画史家の小松弘と岡田晋は、リュミエールがドゥメニーのクロノフォトグラフィを参考にした可能性があると指摘している[30][34]。
キネトスコープ
19世紀末に同時多発的に開発された動く写真映像装置の中で最初に注目を集めたのが、トーマス・エジソンと助手のウィリアム・K・L・ディクソンが開発したキネトスコープである。キネトスコープはシネマトグラフのようにスクリーンに映写する方式ではなく、一人一人が箱の中を覗いて映像を見る装置である[8]。