シドニー
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入江(シドニー・コーブ)はフィリップの命名で、彼の後援者であったシドニー卿(シドニー子爵)トマス・タウンゼントにちなんだものである[34]。このことは植民地開設の特許状がシドニー卿の斡旋で交付されたことに由来すると思われる。新植民地の初期の人口は1000人を超える程度で、当地は流刑植民地であったことからその大部分は囚人であった。食料生産のため、20km西のパラマタにも入植地が設置された。

1822年にはすでに銀行、市場、発達した道路網、警察隊を備えた町となった。

1833年、町の行政は3人の行政官の手に委ねられた。

1842年には自治体として成立した。

1847年には囚人が人口にしめる割合はわずか3.2%にまで低下した。当時シドニーにはヨーロッパより週ごとに船が来航し、イギリスや他のヨーロッパからの移民が到着した。囚人の人口が減少するにつれ、商業活動が活発化した。

1850年にはオーストラリア初の大学であるシドニー大学が創設。

1855年にはシドニーと西郊のパラマタとを結ぶ鉄道が開通。

1883年にはシドニー及びメルボルンを結ぶ鉄道路線が開通したものの、両植民地の鉄道軌間は異なっており、直通路線の開通は1962年まで待たねばならなかった。当初、煉瓦製造と製材に限られていた第二次産業の発展は、ニューサウスウェールズ州自由貿易政策が現地工業の確立を阻害したため遅々としていた。

1901年の連邦成立後、自由貿易政策は否定され、各州間の緊密な連携のもとに州間交易が著しい進展を示した。

シドニーは、19世紀前半まではオーストラリアの6つのイギリス植民地の中心として、名実ともに最大の都市であった。1851年にニューサウスウェールズ州およびビクトリア州で金が発見され最初のゴールドラッシュが起こると、シドニーの人口は急激に増加し、急速に工業化が進んだ。だが、ゴールドラッシュおよびイギリス本国との間の大圏航路においてメルボルンのほうが好位置であったことも加わって、メルボルンが発達の速度を速め、19世紀後半にはシドニーは第2位に後退した。この頃からシドニーとメルボルンとの間で伝統的な敵対関係が存在し、メルボルンはオーストラリアの最大都市かつ最も裕福な都市となっていた。

1901年オーストラリア大陸の6植民地が連合してオーストラリア連邦が成立すると首都は最大都市メルボルンに置かれたものの、この頃からシドニーは再び勢いを増していき、20世紀初頭になるとシドニーはメルボルンを人口で追い越し[35]、それ以来現在に至るまでシドニーは国内最大の都市に君臨し続けている。

1970?80年代、オーストラリア準備銀行オーストラリア証券取引所と共に、シドニーのCBDは明らかに国内最大の金融都市となってメルボルンを追い抜いた。都市圏の拡大とともに人口の郊外化が進み、都市圏の西端は都心から60km以上も離れたブルーマウンテンの麓にまで達している。

20世紀全体を通して見ると、第二次世界大戦後の10年間を特に顕著とし、ヨーロッパやその後のアジアからの移民が増えるにつれてシドニーの都市圏は拡大を続けた。シドニーの特徴である多様で国際的な雰囲気は、移民によってもたらされた文化が主な要因である。
歴史年表シドニー・オペラハウス

西暦出来事
1788最初のヨーロッパ人移民が入植。
1852市として公認される。
1855パラマタとシドニーを結ぶ、ニューサウスウェールズ初の鉄道路線が開通。
1870Intercolonial 博覧会
1879シドニー国際博覧会
1883パラマタ - Intercolonial Juvenile Industrial Exhibition
19011月1日、シドニーでオーストラリア連邦の結成が宣言される。
1932シドニー・ハーバー・ブリッジ完成。
1942日本軍の特殊潜航艇によるシドニー港攻撃
1973シドニーオペラハウス完成。
20009月15日から10月1日までシドニーオリンピック開催。
20076月28日にシドニーオペラハウス世界遺産に登録される。
20216月、新型コロナウイルス感染症の市中感染拡大に伴いロックダウンを実施[36]

政治
行政シドニー大都市圏内の地方行政区分

一般的に単一都市として理解されることが多いシドニー大都市圏(metropolitan area)は、統計上の範囲として設定されているものであり、それ自体は自治体ではない。基礎自治体は大都市圏内に38ある地方行政区(LGAs: Local Government Areas)であり、個々の地方行政区は歴史的経緯を踏まえ、しばしば「市 City」と称する。こうした地方行政区の一つである「シドニー市 City of Sydney」は、シドニー湾に面した高層ビルが集中するCBD周辺の都心だけが市域である。観光地ともなっているシドニー市庁舎「タウン・ホール」は、広域のシドニー大都市圏ではなく、この「シドニー市」の市庁舎である。ただし、この「シドニー市」の市長は、オリンピックのようなイベントの際には、儀礼上、大都市圏全体を代表するような役回りを果たすことがある。

一般的にシドニー所在だと認知されている施設のうち、都心にあるもの以外は、「シドニー市」ではなく別の地方行政区に所在するものである。例えば、タロンガ動物園モスマンシドニー・オリンピックの主会場はオーバーンボンダイビーチウェーバリーシドニー国際空港はターミナルがボタニー・ベイ市、滑走路の先端はロックデール市にある。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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